日本歴史地名大系 「畑野富永村」の解説 畑野富永村はたのとみながむら 岐阜県:山県郡美山町畑野富永村[現在地名]美山町富永(とみなが)古城(こじよう)山の南東に位置し、武儀(むぎ)川を挟んで左岸に畑野、右岸に富永がある。岩佐(いわさ)から葛原(くずはら)・神崎(かんざき)・柿野(かきの)方面に至る街道が通る。西は大桑(おおが)村(現高富町)、南は岩佐村。正治元年(一一九九)五月一九日の源頼家書状写(湖山集)に「法華堂御領美濃国富永庄」とみえるが、畑野富永村は富永庄の端にあたると思われる。江戸時代の公称は畑野富永村であるが、畑野村・富永村と別々に記される場合もあり、実際は分村同様であったと考えられる。慶長郷帳は畑富永村と記し、高二六四石余で、同帳の小物成之覚は富永村とし、山年貢・茶年貢のほか紙舟四六艘分銀一五五匁余がある。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では畑野とミ長村とあり、幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by