三光寺(読み)さんこうじ

日本歴史地名大系 「三光寺」の解説

三光寺
さんこうじ

[現在地名]勝沼町菱山

菱渓山上宮院と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。推古天皇三年甲斐国守秦川勝の開基と伝え、当初は三岳寺と号したという(寺記)。秦川勝は古代の官人山城秦氏の一族で、皇極天皇のとき東国に流行した当世虫信仰を鎮圧した伝承もある(日本書紀)。往古より天台・真言二宗兼学の道場であったが、川勝より五四代目の栄珍の代に等々力の万福とどろきのまんぷく寺の開基源誓坊光寂の弟子となり、浄土真宗に改宗した(寺記)。かつては中之なかの堂には恵信僧都(源信)作と伝える阿弥陀如来、北之きたの堂には救世観音、南之みなみの堂には薬師如来・聖徳太子像とその右に秦川勝の像を安置していた。


三光寺
さんこうじ

[現在地名]南部町小向 正寿寺

正寿寺しようじゆじの北の山脚に位置する。福寿山と号し、臨済宗。本尊は釈迦牟尼。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「三光庵 福寿山済家宗、盛岡聖寿寺末寺、本聖寿寺旧地也、後在西方東禅寺旧寺跡、開基栄朝和尚、不伝古記、未詳之、聖寿寺開山三光国師寛政三年辛亥迄十世」とあり、聖寿しようじゆ(現岩手県盛岡市)の旧地に建立されたものとされる。安政三年(一八五六)の三戸通神社仏閣地名書上帳によれば草創は寛永九年(一六三二)。藩政期末の南部領寺社鑑写(盛岡市中央公民館蔵)に御霊供料として米三駄を給されている。

盛岡砂子」は当寺の前身は三光庵といい、のち聖寿寺と改められたが、同寺が盛岡に移ったのち再度三光庵と称したとする。


三光寺
さんこうじ

[現在地名]川根町家山

大井川の右岸にある。満家山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。延徳三年(一四九一)夢窓疎石の曾孫弟子にあたる玉宝宗琳(周琳)が後道寺として開創したと伝える。その後無住となり廃絶していたが、慶長一五年(一六一〇)智満ちまん(現中川根町)五世才巌存芸が再興し、真言宗から曹洞宗に改宗、現寺号・山号に改めたという。当寺では疎石を開基、才巌を開山としている。疎石は貞和二年(一三四六)家山いえやま村にあった聖福しようふく(正福)寺を開いたとされる。当寺が所蔵する大般若経巻一の奥書に「山香庄東手家山郷聖福寺」とあり、永和二年(一三七六)閏七月四日に大和田おわだ宋円を旦那とし、比丘有広を筆主として書写されており、翌三年一〇月までの間に全六〇〇巻が書写・奉納された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「三光寺」の解説

三光寺

青森県三戸郡南部町にある臨済宗妙心寺派の寺院。創建年不詳。本尊は釈迦牟尼。南部氏菩提寺。国指定史跡聖寿寺館跡」を構成する史跡のひとつ境内にある南部利康霊屋(たまや)は江戸時代初期様式の建築で、国の重要文化財に指定。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

事典・日本の観光資源 「三光寺」の解説

三光寺

(長野県諏訪郡富士見町)
信州の古寺百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

国指定史跡ガイド 「三光寺」の解説

さんこうじ【三光寺】


⇒聖寿寺館跡(しょうじゅじたてあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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