日本大百科全書(ニッポニカ) 「畔上楳仙」の意味・わかりやすい解説
畔上楳仙
あぜがみばいせん
(1825―1901)
幕末から明治期の曹洞(そうとう)宗の僧。号は大岡。法雲普蓋(ふがい)禅師の勅賜号を得た。信濃(しなの)国(長野県)下高井郡夜間瀬(よませ)村(現、山ノ内町)に生まれ、幼名は亀蔵。7歳で出家し江戸・駒込(こまごめ)の栴檀林(せんだんりん)に学び、また信濃・松代(まつしろ)の長国寺覚巌(?―1857)、相模(さがみ)(神奈川県)早川・海蔵寺月潭(げったん)(?―1865)らに参じた。信濃の興隆寺、大林寺、長国寺、前橋の竜海院、相模の最乗寺などに歴住し、1880年(明治13)大本山総持寺独住2世貫首となり、滝谷琢宗(たきやたくしゅう)(1836―1897)とともに『曹洞教会修証義』を編み、近代教化の基本を定めた。1901年(明治34)東京・小石川茗荷谷(みょうがだに)の林泉寺に退き、12月27日に入寂した。著書に『坐禅(ざぜん)用心記落草談』『十種疑問落草談』『信心銘拈提(ねんてい)落草談』などがある。
[櫻井秀雄 2017年5月19日]