孝顕寺(読み)こうけんじ

日本歴史地名大系 「孝顕寺」の解説

孝顕寺
こうけんじ

[現在地名]結城市結城 立町

たつ町北部に所在。天女山と号し曹洞宗。本尊釈迦牟尼仏。初め結城城の西の玉岡たまおかにあり、玉岡山永正えいしよう寺と称した。跡地は永正塚と称され、五輪塔・宝篋印塔が残る。寺伝によると永正一二年(一五一五)創建で、年号にちなんで命名された。同年八月、結城政朝は「小塙前」の畠五反を寄進しており、九月には政朝の家臣安福定則が「永正寺建立成就ニ付、五貫文毎歳被進之候」という寄進状を発している(孝顕寺文書)。独峰曇聚が開山で、政朝に招かれて結城に来た。曇聚の弟子笑顔正忻は政朝の子とも伝えられ、永正寺二世となった。結城政朝書状(同文書)

<資料は省略されています>

とある。父氏広(法号宗光)の遠忌にあたり、血脈をもらい、袈裟を着けることを許可してもらいたいといっており、政朝と正忻の親密な関係をうかがえる。


孝顕寺
こうけんじ

[現在地名]福井市足羽一丁目

足羽あすわ山麓にあり、近世の福井城下神宮寺中じんぐうじなか町の西方にあたる。天女山と号する。現在は単立。本尊釈迦如来。初め曹洞宗で、結城家の菩提寺として、慶長六年(一六〇一)結城秀康の越前入国とともに結城ゆうき(現茨城県結城市)より移され、翌年堂宇が完成した。「越前国名勝志」の運正うんしよう寺の項によると、同一二年秀康が没し孝顕寺に葬ったが、徳川家康の意見で、結城家は代々禅宗であるが、今は本姓に返って松平を号するから、松平家代々の浄土宗の寺に改葬することになり、運正寺を建立して改葬したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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