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畠山勇子 はたけやま ゆうこ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

畠山勇子 はたけやま-ゆうこ

1865-1891 明治時代の女性。
元治(げんじ)2年1月2日生まれ。離婚して上京し,魚問屋ではたらく。明治24年ロシア皇太子が大津市で襲撃された大津事件をきき国の将来をうれえ,5月20日京都府庁の門前で自殺した。27歳。安房(あわ)(千葉県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

畠山勇子

没年:明治24.5.20(1891)
生年:慶応1.1.2(1865.1.28)
明治時代の憂国の人。大津事件でロシアとの国交が悪化するのを憂慮し,自らの死をもって国の危急を訴えた。安房国長狭郡(千葉県)生まれ。父治兵衛の没後,家運が傾き,17歳で若松吉蔵に嫁いだが,23歳のとき離婚。勤王の侠商として知られた伯父榎本六兵衛を頼って上京した。万里小路家,横浜の実業家原六郎家,日本橋区室町の魚商の奉公人となったが,国政に関心を寄せ,国史や政治小説を愛読。周囲からは変人と目された。明治24年(1891)5月に大津事件が勃発すると,悲憤慷慨し,急用で故郷に帰らねばならないといって暇をとり,伯父を訪ね,翌朝新橋発2番列車に乗った。同月20日京都に着くと,本願寺などを詣で,同日午後7時すぎに京都府庁の門前で国を憂慮する気持ちをしたためた遺書を残して腹と喉を切って自殺した。<参考文献>大植四郎編『明治過去帳』,尾佐竹猛『大津事件』

(関井光男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の畠山勇子の言及

【大津事件】より

…天皇は京都に行幸して皇太子を見舞い御前会議で謝罪使のロシア特派を決定した(ロシアの辞退で中止)。女中奉公をしていた畠山勇子は,国家の危難を救うために国民のなかから命をささげてロシアに詫びるものが必要であると考え自殺した。成立直後の松方正義内閣は,緊急勅令で内務大臣に新聞雑誌などの関係記事を事前検閲させた。…

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