永井尚志(読み)ナガイナオムネ

デジタル大辞泉 「永井尚志」の意味・読み・例文・類語

ながい‐なおむね〔ながゐなほむね〕【永井尚志】

[1816~1891]幕末期の幕臣、維新期の官吏三河奥殿藩主松平乗尹まつだいらのりただの子。名は「なおゆき」とも。旗本永井尚徳の養子となり、長崎海軍伝習所総督、初代外国奉行、初代軍艦奉行を歴任するが安政の大獄免職。のちに復活して将軍慶喜の下で若年寄箱館戦争に参加して敗北。明治政府では開拓使御用掛元老院権大書記官などを務めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「永井尚志」の意味・わかりやすい解説

永井尚志
ながいなおゆき
(1816―1891)

幕末の幕府官僚幕府海軍創設大政奉還起草尽力。1816年(文化13)三河奥殿藩主松平乗尹(のりただ)の庶子に生まれ、旗本永井家の養子となる。1848年(嘉永1)の学問吟味で甲科上の褒詞をうける。1853年目付となり、長崎勤務中の1855年(安政2)オランダ国王から贈られた観光丸を用いた海軍伝習の監督となる。1857年観光丸で帰府。築地に開かれた軍艦操練所を監督する。勘定奉行、外国奉行、軍艦奉行と転じ、安政の大獄で一時失脚するが、1862年(文久2)軍艦役頭取に復職し、同年京都町奉行となる。1865年(元治1)第一次長州遠征(長州征伐)で毛利氏の処罰をめぐり孤立して辞職。1865年(慶応1)第二次長州遠征のときに大目付に復職した。1867年若年寄格となる。1868年(明治1)蝦夷地に渡り新政府に抵抗。1869年降伏し入獄するが、1872年赦免。新政府に仕え、開拓使用掛、左院少議官、元老院権大書記官を経て、1876年退職した。1891年7月1日死去。76歳。墓は東京都荒川区の本行寺。自伝に『永井介堂君履歴稿本』がある。

[上白石実]

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改訂新版 世界大百科事典 「永井尚志」の意味・わかりやすい解説

永井尚志 (ながいなおむね)
生没年:1816-91(文化13-明治24)

幕末の開明的幕臣で幕府海軍の創設者の一人。通称岩之丞。三河国奥殿藩主松平乗尹の子として生まれ,旗本永井氏の養子となる。洋式海軍の技術に通じ,開明的能吏として活躍し,1858年(安政5)初代外国奉行,59年には初代軍艦奉行となる。その後一橋派の一員として安政の大獄に連座したが,慶喜政権成立とともに抜擢(ばつてき)されて大目付,若年寄に進み,幕府最後の近代的改革に尽力した。維新後は開拓使御用掛,左院少議官,元老院権大書記官等を務めた。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「永井尚志」の解説

永井尚志
ながいなおゆき

1816.11.-~91.7.1

名は「なおむね」とも。幕末期の幕臣。父は三河国奥殿藩主松平乗尹(のりただ)。永井家の養子。長崎目付から1855年(安政2)長崎海軍伝習所総督となり,軍艦操練所監督・外国奉行・軍艦奉行を歴任したが井伊直弼政権で左遷。64年(元治元)大目付となり,京都政局で活躍。長州戦争で萩藩側との交渉にあたる。67年(慶応3)若年寄格となり,大政奉還の上表文を起草。鳥羽・伏見の戦後江戸へ脱出,榎本武揚らと行動をともにした。降伏後,開拓使用掛・左院少議官・元老院権大書記官などを勤め,76年(明治9)隠居。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永井尚志」の解説

永井尚志 ながい-なおむね

1816-1891 幕末-明治時代の武士,官僚。
文化13年11月3日生まれ。三河(愛知県)奥殿(おくどの)藩主松平乗尹(のりただ)の次男。旗本永井家の養子となる。安政2年長崎海軍伝習所総督。のち初代外国奉行,初代軍艦奉行。安政の大獄の際に免職となるが,文久2年復活。京都町奉行,大目付,若年寄をつとめる。維新後,元老院権(ごんの)大書記官。明治24年7月1日死去。76歳。通称は岩之丞。号は介堂。名は「なおのぶ」「なおゆき」ともよむ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「永井尚志」の意味・わかりやすい解説

永井尚志
ながいなおむね

[生]文化13(1816).11.3. 三河
[没]1891.7.1. 東京
江戸時代末期の幕臣。玄蕃頭 (げんばのかみ) 。三河奥殿藩主松平 (大給) 乗尹の子。旗本永井氏を継ぐ。幕府海軍の創設に尽力し,外国奉行,軍艦奉行を経て大目付,若年寄に進んだ。戊辰戦争では箱館に拠ったが,明治5 (1872) 年,新政府に出仕し,のち元老院権大書記官となった。

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367日誕生日大事典 「永井尚志」の解説

永井 尚志 (ながい なおのぶ)

生年月日:1816年11月3日
江戸時代;明治時代の幕臣;官吏
1891年没

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世界大百科事典(旧版)内の永井尚志の言及

【五稜郭の戦】より

…ついで箱館府知事清水谷公考を青森へ敗走させ,松前城を陥れ,藩主松前徳広を津軽へ逃走させた。12月15日,榎本は総裁に就き,松平太郎副総裁,荒井郁之助海軍奉行,大鳥圭介陸軍奉行,永井尚志箱館奉行,人見勝太郎松前奉行,土方歳三陸軍奉行並などからなる蝦夷島政権を樹立し,箱館の堅塁五稜郭を本営とした。旧幕軍は,この政権を,諸外国に,交戦権を持つ独立政権と認めさせ,局外中立をとらせようとしたが,やがて局外中立は撤廃された。…

※「永井尚志」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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