魚問屋(読み)うおどんや

改訂新版 世界大百科事典 「魚問屋」の意味・わかりやすい解説

魚問屋 (うおどんや)

魚問屋の発達はだいたい江戸時代以降のことであり,それも江戸初期においては,大坂・江戸の大都市や城下町などの消費地問屋に限られていたとみられる。それらの都市の成立は魚介類に対する需要を増大させていったから,魚問屋やその集合体としての魚市場が生成してそれにこたえていくのは自然の勢いであろう。しかし当初は自然の勢いばかりではまにあわず,領主側で積極的に魚問屋を育成した場合が少なくなかった。江戸日本橋魚市場の開設が許されたのは慶長年間(1596-1615)であるし,大坂はそれより早く豊臣秀吉の時代からの推移を経て雑喉場(ざこば)魚市場に定着するのは延宝年間(1673-81)のことであった。加賀藩では江戸時代初頭から城下町を中心として主要な都市に魚問屋を配置し,魚介類の販売を独占させた。

 魚問屋の任務諸浦から集荷された魚介類の価格を決定して請売りのもの(魚屋,振売)に渡し,定率の問屋口銭をとって藩に納め,浦方へ早く代金を支払い,また領主の御菜魚を調達することであった。もちろん口銭の一部は問屋自身の収入になった。江戸初期においては魚介類に対する需要が大都市や城下町などの主要都市に限られていたから,魚介類はそれらの都市の魚問屋に自然に無理なく集中していたとみられる。しかし江戸時代中・末期になって商品経済が発達するにつれて,魚介類に対する需要が各地に広がり,魚問屋網が拡大していき,浦方ないしその近在に生産地の魚問屋も生まれるようになっていった。そして水産物流通に対してはもとより,漁業生産に対しても魚問屋仕込制度などを通じて支配的な役割を演ずる存在に発達した。だから幕藩体制の崩壊した明治以降においても,永くその前期的な機能と支配力を維持していた。その近代的変質が始まったのは主として大正以降であり,第2次大戦後になってそれが決定的となった。資本制漁業経営の発達と漁業組合ないし漁協による組合共販や系統融資の体制などが整備されたためである。
魚市場
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の魚問屋の言及

【納屋】より

…また都市でも屋外にある物置小屋をいった。(4)魚問屋,魚屋をいう。大津では水産物を扱う問屋をいい,鹿児島でも魚屋をさすところや魚市場をさすところがあった。…

※「魚問屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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