日本歴史地名大系 「畠谷村」の解説 畠谷村はたやむら 秋田県:山本郡峰浜村畠谷村[現在地名]峰浜村畑谷(はたや)塙(はなわ)川の北岸、東に塙村、西に田中(たなか)村、南に強坂(ごうざか)村、北に水沢(みずさわ)村・高野野(こうやの)村がある。村の大部分は緩やかな丘陵。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「三百六拾四石三斗三升四合 畑村 くろつち村」とあり、文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)には「弐百拾八石八斗 畑谷村」とある。 畠谷村はたやむら 秋田県:河辺郡河辺町畠谷村[現在地名]河辺町畑谷(はたや)岩見(いわみ)川の下流、左岸にあり、東に野田高屋(のだこうや)村、西に田草川(たくさがわ)村(現雄和(ゆうわ)町)が隣接する。文禄元年(一五九二)秋田実季分限帳に「弐百拾八石八斗 畑谷村」と記される。正保年間(一六四四―四八)は三六五石余、戸数三七、人口一八七であったという(秋田県河辺郡誌)。享保一四年(一七二九)の河辺郡御黒印高帳(河辺町郷土誌)には高三六六石とあり、うち本田並・新田高は一六五石である。享保の頃、高を高く見積られ文政九年(一八二六)打直検地が実施されたという(河辺町郷土誌)。「六郡郡邑記」には「畑谷村畠谷改る 三四軒。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by