番場町(読み)ばんばちよう

日本歴史地名大系 「番場町」の解説

番場町
ばんばちよう

[現在地名]加賀市大聖寺番場町だいしようじばんばちよう

大聖寺川右岸、藩邸の北川向いにある武家町。天明六年(一七八六)の大聖寺絵図によると八間道はちけんみち北端、大聖寺川に架かる高砂たかさご(新橋)を渡ったところから西に延びる町で、大井・一色・野口・佐分・山崎図書ら重臣の下屋敷を中心に、これに次ぐ上級武士の屋敷で占められていた。新橋は延享元年(一七四四)に架けられた石橋で、以前はくり船による渡しであった(「聖藩年譜草稿」土田文書)。架橋費用は「三ノ一御作事、残分御家中御郡町方寺社総割賦御作事所取立」であったという(江沼志稿)


番場町
ばんばちよう

昭和二七年(一九五二)に設定された。南は中央ちゆうおう町、東は三住みすみ町・三楽さんらく町、北は清見きよみ町、西は北斗ほくと町。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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