新橋(読み)シンバシ

デジタル大辞泉 「新橋」の意味・読み・例文・類語

しんばし【新橋】

東京都港区北東部の地名繁華街。明治5年(1872)日本初の鉄道起点となった新橋駅は、もと汐留しおどめ貨物駅位置にあった。

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精選版 日本国語大辞典 「新橋」の意味・読み・例文・類語

しんばし【新橋】

  1. ( 汐留川にかけられた橋の名による )
  2. [ 一 ] 東京都港区北東端の地名。慶長年間(一五九六‐一六一五)から市街地として開け、江戸時代以後は料亭などがたち並ぶ花街として知られた。
  3. [ 二 ]しんばしていしゃじょう(新橋停車場)」の略。
    1. [初出の実例]「汽笛一声新橋(シンバシ)を はや我汽車ははなれたり」(出典:唱歌・鉄道唱歌(1900)〈大和田建樹東海道)

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日本歴史地名大系 「新橋」の解説

新橋
しんばし

現港区の東端、JR東海道本線新橋駅を中心にして、東側と西側一帯の名称。東側の東新橋一丁目は汐留しおどめ跡地に相当するが、同駅は明治五年(一八七二)九月、新橋―神奈川県横浜間に旅客ならびに貨物輸送のために新橋駅(新橋停車場跡として国史跡)として開設された。新橋駅は播磨龍野・陸奥仙台・同会津各藩の旧武家屋敷と汐留町一丁目・同三角さんかく屋敷の船宿や小商人・職人を立退かせて建設し、その開業によって開港場横浜―東京間の交通の便が飛躍的に増大し、外国文化の流入口となった。


新橋
しんばし

東山区新橋通(新道しんみち)にあり、しら川に架かる。

宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に、「此町(橋本町)の西に橋有。新橋といふ。白川の下流なり」と位置を示す。これより先、正徳三年(一七一三)正月の祇園広小路新家地道幅定杭打渡絵図(上河原雄吉家文書)に、橋の所在が描かれるから、新道の造成とともに架橋されたと察せられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「新橋」の意味・わかりやすい解説

新橋
しんばし

東京都港区北東端の地区。1710年(宝永7)、北の銀座との境界をなす汐留(しおどめ)川に架けられた新橋を芝口橋改称したが、引き続き新橋ともよばれていた。江戸時代はおもに銀座側を新橋とよんだが、1872年(明治5)鉄道の起点駅として新橋駅(1914年汐留駅に改称)が設けられてから港区側を新橋とよぶようになった。現在の新橋駅は、1909年(明治42)に烏森(からすもり)駅として設置されたもので、1914年(大正3)に開設された東京駅に起点駅が移った際、現名に改称された。汐留駅(旧、新橋駅)は貨物専用駅となり、1986年(昭和61)廃止され、跡地は再開発されることになった。旧新橋駅の駅舎基礎、ホームの一部、0哩(ゼロマイル)標識は国の史跡として保存されており、再開発に伴い、それらを利用して「旧新橋停車場」が再現された(2002年着工。2003年完成)。また、再開発地区の中心地に2002年(平成14)11月都営地下鉄大江戸線、新交通システム「ゆりかもめ」の「汐留駅」が設置された。

 北部を東京地下鉄銀座線が通り、南北方向の都営地下鉄三田(みた)線・浅草線を境として西新橋、新橋、東新橋の3地区に分かれる。

 江戸時代に早く市街地となり、駅西口の烏森は茶屋、芸妓(げいぎ)屋の多い花街として栄えた。明治の初め、日本最初の鉄道の起点として、さらに1882年新橋―浅草間に馬車鉄道が通り、交通の中心として発展した。現在は銀座の延長として、とくに飲食店街としてにぎわっている。汐留川は1964年に埋め立てられて消失し、首都高速道路が通り、その下に飲食店などの店舗が集まった銀座ナインがある。旧新橋の南側に『銀座の柳』の歌碑が立っている。都営地下鉄三田線の通る日比谷(ひびや)通りに、浅野内匠頭(たくみのかみ)終焉(しゅうえん)之地碑のある一関(いちのせき)藩主田村邸跡と、東京慈恵会医科大学(とうきょうじけいかいいかだいがく)がある。中国陶磁器をおもに収集している松岡美術館があったが2000年白金台へ移転。新橋駅前の東口、西口ともに再開発によって高層ビル街となっている。

[沢田 清]


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改訂新版 世界大百科事典 「新橋」の意味・わかりやすい解説

新橋 (しんばし)

東京都港区の地名。汐留川の上を走る首都高速道路を境に中央区銀座と接し,南は芝公園に続く。新橋の名は江戸時代初期に溜池方面から通じている外堀に架けられた東海道の橋の名から起こった。1710年(宝永7)には芝口御門が設けられたため,この橋は芝口橋とも呼ばれた。日本橋へ続く江戸の中心的な町屋(尾張町,銀座町など)の南端に位置しており,烏森(からすもり)の歓楽街がすぐ西にあった。1872年(明治5)新橋~横浜間に鉄道が敷かれ,新橋停車場(のちの汐留貨物駅)が開業すると,東京の玄関口としてにぎわった。なお,鉄道創設を記念する石碑が汐留駅構内に設けられている。1877年ころには銀座商店街の煉瓦街もほぼ完成し,82年には上野へ通じる馬車鉄道の発着場も置かれた。1909年には現在の新橋駅の位置に烏森駅が新設され,橋の北詰には帝国博品館(新橋勧工場(かんこうば))もつくられて商業地としても栄えた。現在,銀座の南の入口であるとともに,内幸町から霞が関のオフィス街,官庁街への通勤者が多く出入りする地区である。JR東海道本線,山手線,地下鉄銀座線,都営地下鉄浅草線などが通る。
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百科事典マイペディア 「新橋」の意味・わかりやすい解説

新橋【しんばし】

東京都区北東部の一地区。東新橋,新橋,西新橋に分かれ,東海道本線,JR線,地下鉄が通じる新橋駅が中心。1700年汐留(しおどめ)川にかけられた橋を新橋(のち芝口橋)と呼んだのに由来。江戸後期から烏森(からすもり)地区が茶屋,料亭が並ぶ歓楽街となり,明治・大正にはその繁栄は隅田河岸の柳橋をしのいだ。1872年10月14日(旧9月12日)鉄道開通時の新橋駅は汐留にあった旧汐留貨物駅。
→関連項目

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新橋」の意味・わかりやすい解説

新橋
しんばし

東京都港区北東部,JR新橋駅周辺一帯の地区。銀座通り南端の汐留川にかけた橋名に由来。慶長年間 (1596~1615) ,日比谷村住民が移住し,宝永7 (1710) 年には芝口御門が設置された。江戸時代は主として銀座側を新橋と称し,明治5 (1872) 年東京-横浜間の鉄道始発の新橋駅設置後は港区側を呼ぶようになった。 1914年東京駅が始発駅となってからは旧新橋駅 (汐留駅と改称) は貨物駅として使用,その西に烏森駅 (現新橋駅) が新設された。現在,汐留駅は廃止され旧新橋停車場跡 (史跡) となっている。跡地は再開発が進み,高層ビル街。

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デジタル大辞泉プラス 「新橋」の解説

新橋

山形県上山市にある石造のアーチ橋。1880年竣工。金山川に架かる。別称「新町めがね橋」。2009年、土木学会により「山形の石橋群」のひとつとして土木遺産に認定。

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世界大百科事典(旧版)内の新橋の言及

【芸者】より

…これには弾圧もあったが,江戸末期になると各地で芸者遊びが盛んとなり,辰巳(たつみ)芸者,羽織芸者とも呼ばれた江戸の深川芸者が意気と俠気(きようき)とを認められたのを始め,遊郭に代わる新興歓楽地として活況を呈した。明治以後の東京では深川にかわって柳橋が盛んになり,やがて政・官・財界をあげて,新橋を中心として〈待合政治〉をくり広げたため花柳界は大発展した。芸者屋も組合を作り温習会を催して売名と技芸の向上をはかった結果,国際的に〈ゲイシャ〉の名を広めた。…

※「新橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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