日本大百科全書(ニッポニカ) 「當麻曼荼羅」の意味・わかりやすい解説
當麻曼荼羅
たいままんだら
阿弥陀浄土変相(あみだじょうどへんそう)図の一種。『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』のうちとくに善導(ぜんどう)の四帖疏(しじょうしょ)に基づく図解であるから、観無量寿経変相図または観経変(観経曼荼羅)という。原図は現在も藕糸(ぐうし)本図と呼称するものが伝存しているところから、當麻曼荼羅と通称している。綴織(つづれおり)で、縦395センチメートル×横397センチメートルの大幅。図の中央下辺に縁起銘文を記す。曼荼羅の由来は『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』巻二の説話に詳しい。天平宝字(てんぴょうほうじ)7年(763)に出家した横佩(よこはぎ)の大臣(おとど)の女(むすめ)(中将姫)が生身の阿弥陀仏を見ようと祈願すると、1人の比丘尼(びくに)が現れ、百駄の蓮茎(はすぐき)を用意せよと告げた。勅奏(ちょくそう)により集められた蓮糸は、化女の助けにより一夜のうちに曼荼羅に織り上げられ、阿弥陀の浄土を観想することができたといい、姫はのちに極楽から来迎(らいごう)を受けたという。當麻寺には、文亀(ぶんき)年間(1501~1504)慶舜(けいしゅん)、専舜によって板曼荼羅(1243年作)から模写された文亀曼荼羅がある。ほかにも縮尺図が多く流布する。
[真鍋俊照]