日本歴史地名大系 「疋見別符・疋見郷」の解説
疋見別符・疋見郷
ひきみべつぷ・ひきみごう
匹見町域にあった国衙領。南北朝期まで疋見別符、戦国期には疋見郷といった。引見とも記す(明応一〇年四月一三日「大内義興書状」益田家文書など)。
しかし鎌倉期には益田氏の手を離れていたようで、建武二年(一三三五)二月一二日の後醍醐天皇綸旨(益田家文書)において、改めて益田氏は津毛・疋見両別符を本領として給付されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報