癸生村(読み)けぶむら

日本歴史地名大系 「癸生村」の解説

癸生村
けぶむら

[現在地名]栃木市大塚町おおづかまち

大塚村北東おもい(小倉川)右岸に立地する。もと大塚村の一部であったが、近世初期に分村したとされる。東は当村枝郷の柳原やなぎわら新田。また近世初期までは北東部でくろ川が合流していたため、出水時には水害をうけることが多く、川欠けがはなはだしかった。思川沿いに真言宗如意輪によいりん寺末の真如しんによ院があったが、川欠けのとき流失した。その西に再建した薬師堂の傍らには、寛文一一年(一六七一)村民が造立しその連名を刻んだ六地蔵が現存し、流失の時期はそれ以前であったことを示しており、薬師堂の辺りの小字名を堀の内ほりのうちという。村名は、川より立上る水蒸気が煙に見えたことから生じたといい、古くは煙村とも書いた。東癸生ひがしけぶ西癸生にしけぶの二集落に分れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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