白井新太郎(読み)シライ シンタロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「白井新太郎」の解説

白井 新太郎
シライ シンタロウ


肩書
衆院議員,富士水力電気創立者

別名
号=如海

生年月日
文久2年10月22日(1862年)

出生地
陸奥会津若松(福島県)

経歴
明治11年上京し学を修め、16年南部次郎が芝罘(チーフー)領事として赴任するのに従って渡清し、華南の中国革命運動の機密に関わった。のち荒尾精の漢口楽善堂に拠るが、21年東京で福本日南らと共に東邦協会を設立。27年台湾総督府の嘱託となり抗日土匪掃討に尽力、32年官塩売捌組合顧問となって台湾全島に食塩専売制度を布く道を開いた。また台湾商工公司顧問として土木建築方面にも手腕を振るった。39年内地に帰り、富士水力電気会社を創立し、駿豆鉄道取締役を兼任。大正6年衆院議員となった。

没年月日
昭和7年12月10日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「白井新太郎」の解説

白井 新太郎
シライ シンタロウ

明治・大正期の大陸浪人,政治家 富士水力電気創立者;衆院議員。



生年
文久2年10月22日(1862年)

没年
昭和7(1932)年12月10日

出生地
陸奥国会津若松(福島県)

別名
号=如海

経歴
明治11年上京し学を修め、16年南部次郎が芝罘(チーフー)領事として赴任するのに従って渡清し、華南の中国革命運動の機密に関わった。のち荒尾精の漢口楽善堂に拠るが、21年東京で福本日南らと共に東邦協会を設立。27年台湾総督府の嘱託となり抗日土匪掃討に尽力、32年官塩売捌組合顧問となって台湾全島に食塩専売制度を布く道を開いた。また台湾商工公司顧問として土木建築方面にも手腕を振るった。39年内地に帰り、富士水力電気会社を創立し、駿豆鉄道取締役を兼任。大正6年衆院議員となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「白井新太郎」の解説

白井新太郎 しらい-しんたろう

1862-1932 明治-昭和時代前期の大陸浪人,政治家。
文久2年10月22日生まれ。清(しん)(中国)で清国改造運動に参加,明治24年東京で福本日南らと東邦協会を設立。29年台湾総督府嘱託として反日勢力弾圧,食塩専売制度確立にあたる。のち富士水力電気などの役員をつとめた。大正6年衆議院議員。昭和7年12月10日死去。71歳。陸奥(むつ)会津(あいづ)(福島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「白井新太郎」の解説

白井 新太郎 (しらい しんたろう)

生年月日:1862年10月22日
明治時代;大正時代の大陸浪人;政治家。衆議院議員
1932年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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