白川庄・白川郷(読み)しらかわのしよう・しらかわごう

日本歴史地名大系 「白川庄・白川郷」の解説

白川庄・白川郷
しらかわのしよう・しらかわごう

北流するしよう川の上流域、現荘川村と白川村を中心とする地域は白川郷と総称される。標高一〇〇〇―二〇〇〇メートル級の山々に囲まれ、狭隘な渓谷集落が点在する。白川の名称は、白山白水しらみず谷に源を発して庄川に流入する大白おおしら川の水が、常に白濁していることによるという(斐太後風土記)平治元年(一一五九)一二月五日の藤原太子解(兵範記裏文書)に「白川御庄」がみえ、大宮右大臣(藤原俊家)家領で、娘の一条殿(藤原師通の妻全子)に譲られた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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