白川郷(読み)シラカワゴウ

デジタル大辞泉 「白川郷」の意味・読み・例文・類語

しらかわ‐ごう〔しらかはガウ〕【白川郷】

岐阜県北西部、大野郡荘川村(現高山市)・白川村一帯の称。大家族制の住居である合掌造り民家があることで知られる。平成7年(1995)「白川郷・五箇山合掌造り集落」の名で世界遺産文化遺産)に登録された。→五箇山

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精選版 日本国語大辞典 「白川郷」の意味・読み・例文・類語

しらかわ‐ごうしらかはガウ【白川郷】

  1. 岐阜県北西部、庄川上流の地帯をいう。長い間焼畑農業養蚕業中心の孤立した生活を営み、明治時代まで大家族制度を残していた。切妻合掌(きりづまがっしょう)造りの民家があることで知られ、合掌造りの集落が世界遺産に指定されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白川郷」の意味・わかりやすい解説

白川郷
しらかわごう

岐阜県飛騨(ひだ)地方の西部、高山市荘川(しょうかわ)町地区、大野郡白川村などを含む庄川(しょうがわ)上流域の一帯をさす。秘境として知られていたが、現在は観光・電源開発が盛ん。歴史をさかのぼると、庄川最上流の六厩(むまや)(荘川町地区)の旧白山(はくさん)神社からは平安時代後期の古鏡が出土しており、また、1183年(寿永2)の倶利伽羅(くりから)峠の戦いで敗れた平家の落人(おちゅうど)が住み着いたという伝説もある。1265年(文永2)親鸞(しんらん)の弟子嘉念坊善俊(かねんぼうぜんしゅん)が鳩谷(白川村)に道場を開き(のちの照蓮寺)、浄土真宗の本格的な布教が始まった。その後、1460年(寛正1)内ヶ島将監(しょうげん)がこの谷へ入り、1475年(文明7)全白川郷を支配した。しかし、同氏は1585年(天正13)の大地震で、帰雲山(かえりくもやま)の崩壊とともに突然滅亡した。江戸時代には金森氏領、のち天領となった所と、一部照蓮寺領として続いた所がある。明治、大正時代までは交通不便な秘境で、厳しい自然条件のもとに生まれた、特色のある大家族制度が残存した。かや葺(ぶ)きの大きな切妻合掌造(きりづまがっしょうづくり)の民家は有名である。この大家族制度は、家長が絶対の権限をもち、家長と相続人たる長男にのみ正式結婚が認められ、次三男以下は分家も正式結婚も許されず、皆家族として、焼畑耕作や養蚕に従事しながら、1軒に30~40人が生活した。

 第二次世界大戦後、電源開発の気運が急に高まり、御母衣ダム(みぼろだむ)などの建設に伴い、水没地域の多数の住民は立退き離村を余儀なくされた。一方道路は岐阜と高岡を結ぶ国道156号が整備され、石川県に通ずる白山スーパー林道(現在は白山白川郷ホワイトロード)も建設された。さらに東海北陸自動車道の白川郷、荘川の両インターチェンジが開設されている。ダム補償によるスキー場、ゴルフ場、別荘地の建設や役場など公共施設の改築も行われた。白川郷は、五箇山(ごかやま)(富山県)とともにその合掌造集落が、1995年(平成7)、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産の文化遺産として登録されている。荻町(おぎまち)(白川村)などの切妻合掌造の民家、日本初の大規模ロックフィルダム御母衣ダム、白水ノ滝、牛丸・尾上郷(おかみごう)のジュラ紀化石産地があり、白川村の民謡「古大尽(こだいじん)」「どぶろく祭」とともに知られている。西には白山国立公園も連なっており、白山麓(ろく)の白川村平瀬には村営温泉も開設されている。

[上島正徳]

『飛越合掌文化研究会著『世界遺産の合掌造り集落 白川郷・五箇山のくらしと民俗』(1996・岐阜新聞社)』『合田昭二編『白川郷 世界遺産の持続的保全への道』(2004・ナカニシヤ出版)』『宮沢智士著『白川郷合掌造Q&A』(2005・智書房)』


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日本歴史地名大系 「白川郷」の解説

白川郷
しらかわごう

和名抄」に「白川」と記され、訓を欠く。「新編常陸国誌」に「按ズルニ、白河ノ地名、今亡ビテ其地詳ナラザレドモ、遊方名所略ヲ考フルニ、本郡ニ白河ト云ヘル川アリ」とあり、比定地は定かでないが、郷域は現東茨城郡茨城町小幡おばた下座げざ上雨かみあま・下雨ヶ谷・鳥羽田とりはた生井沢なまいさわ美野里みのり西郷地さいごうち柴高しばたか小岩戸こいわと小川おがわ佐才さざい上吉影かみよしかげ・下吉影・世楽せらく上合かみあい、鹿島郡鉾田ほこた紅葉もみじ菅野谷すげのや大和田おおわだ上富田かみとみた・下富田の一帯とされる。


白川郷
しらかわごう

「和名抄」諸本とも訓を欠く。「日本地理志料」では大松沢おおまつざわ石原いしばら(現大郷町)桧和田ひわだ松坂まつさか相川あいかわ蒜袋ひるぶくろ舞野まいの(現大和町)などにわたる地とし、粕川かすかわ(現大郷町)がその遺称地という。


白川郷
しらかわごう

「和名抄」諸本とも訓を欠く。「日本地理志料」では「志良加波」と読み、田子たご岡田おかだ蒲生がもう福室ふくむろ(現仙台市)などにわたる地とする。


白川郷
しらかわごう

「和名抄」所載の郷で、郡名に「之良加波」と訓を付す。「陸奥郡郷考」は「今按白川邑治城之地」とし、「白河古事考」は「今の白河也」、「大日本地名辞書」は「今白河町・白坂村及び西郷村にあたる」とする。現西白河郡泉崎いずみざき村の国指定史跡関和久せきわぐ官衙遺跡は白河郡衙跡であり、郡衙は郡の中心郷である白川郷に置くのが通常である。

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改訂新版 世界大百科事典 「白川郷」の意味・わかりやすい解説

白川郷 (しらかわごう)

岐阜県北西部,庄川とその支流の渓谷部の地域名で,大野郡白川村,高山市の旧荘川村と旧清見村の一部からなる。近世後期から明治末期ごろまで家長と長男以外は結婚を許されない大家族制度がとられたところで,茅(かや)葺きの大きな合掌造の民家が今も残ることで有名。かつては近代交通から隔絶した秘境であったが,御母衣(みぼろ)ダム(1961完成)はじめ多くの発電用ダムが建設され,岐阜市方面からの国道156号線,旧高山市方面からの国道158号線が整備されて交通も便利となった。重要文化財の旧遠山家住宅,荻町の合掌造の集落などが保存され,白川八幡宮などで行われる〈どぶろく祭〉では郷土芸能〈古大尽〉が奉納される。白山(2702m)への登山口であり,山地を横断するスーパー林道も開設された。近年はスキー場やゴルフ場クアハウスなども開設され,林業地から観光地への転換が進んでいる。1995年〈白川郷・五箇山の合掌造り集落〉として世界文化遺産に登録された。
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百科事典マイペディア 「白川郷」の意味・わかりやすい解説

白川郷【しらかわごう】

岐阜県北西部,大野郡白川村,高山市荘川町・清見町の1市1村にわたる地域。庄川上流部にあたり,大正末年ごろまでは交通不便な孤立した山村で,自給農業と養蚕を主業とし,耕地の細分化を防ぐために生まれた大家族制度で知られた。バスの開通,電源開発の進行とともに観光地に変わりつつある。合掌造の大民家が残り,御母衣(みぼろ)ダムなど大ダムがある。高山市,郡上市,富山県南砺(なんと)市からバス。1995年合掌造集落が五箇山のそれとともに世界文化遺産に登録された(世界遺産条約)。
→関連項目岐阜[県]城端[町]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白川郷」の意味・わかりやすい解説

白川郷
しらかわごう

岐阜県北西部,庄川上流の地域。高山市白川村にまたがる。大家族制度の名残りである茅ぶきの大きな切妻合掌造の家のあることで有名で,合掌造の集落は 1995年に世界遺産の文化遺産に登録された。合掌造の民家を移築した野外博物館合掌造り民家園,国の重要文化財に指定されている旧遠山家住宅,白水の滝などがある。この地域はまた庄川の峡谷をなすところで,各所に発電所があり,日本で初めて築いた大規模なロックフィルダムの御母衣ダムは有名。岐阜―高岡間を結ぶ国道 156号線のほか,石川県に通じる白山白川郷ホワイトロードがある。

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デジタル大辞泉プラス 「白川郷」の解説

白川郷

岐阜県大野郡白川村にある道の駅。国道156号に沿う。

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世界大百科事典(旧版)内の白川郷の言及

【白川[村]】より

…庄川の上流,両白山地内に位置し,西は白山を境に石川県,北は人形山を境に富山県と接する。南隣の荘川村とともに白川郷と呼ばれ,大家族制と合掌造を特徴とする奥飛驒の秘境であった。庄川沿いを国道156号線が通じ,流域の河岸段丘上に集落と耕地がある。…

※「白川郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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