白毫院跡(読み)びやくごういんあと

日本歴史地名大系 「白毫院跡」の解説

白毫院跡
びやくごういんあと

京都市北区にあった寺。もと雲林うりん(現北区)の末院(山州名跡志)で、天長元年(八二四)建立と伝える(京羽二重)。古跡について「山州名跡志」は「其地当雲林院村卯辰(東南)」と記し、「山城名勝志」は「或云、白毫院、今大徳寺之内総見院其地也」とするが、「河海抄」によれば小野篁墓より北にあったということになり、一定しない。「太平記」巻九には、元弘三年(一三三三)五月京都に帰った梶井宮尊胤親王が三、四年間当院で乱を避けたことが記され、「新撰筑波集」には後成恩寺殿が白毫院で詠んだ花の下連歌の句「山守も風をはいはぬさくらかな」を収める。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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