白江庄(読み)しらえのしよう

日本歴史地名大系 「白江庄」の解説

白江庄
しらえのしよう

現白江町を中心に小松旧市街地北部、かけはし川北岸の松梨まつなし町を含む一帯に比定される。北白江庄・南白江庄・南白江新庄があり、南・北の境界は梯川であろう。大治年間(一一二六―三一)頃と推定される五月二五日の散位藤原某書状(医心方巻二五裏文書)によれば「白江保司職」の補任について、目代に宛てて留守符の発給を求めている。「源平盛衰記」巻二八(北国所々合戦事)によれば、寿永二年(一一八三)五月二日平氏軍に追われた源氏方の加賀越中の武士たちは「堪スシテ佐見・白江・成合ノ池打過テ、安宅ノ渡・住吉浜ニ引退テ陣ヲ取」っている。文永五年(一二六八)一一月八日延暦寺三塔興隆のため加賀国南白江庄・北白江庄などが東塔分として寄進され、これらはのち天台妙法院門跡が管領するようになった(華頂要略)。弘安七年(一二八四)には田使大悲丸が預所代職に補任されている(同年六月一七日「某下文」金剛寺文書)。その後妙法院は南白江庄・北白江庄を含む諸庄園の管領の明証となる文券を焼失してしまったため、康永三年(一三四四)七月日安堵を申請しているが(「亮性法親王庁解」妙法院文書)、南白江庄・北白江庄は妙法院門跡が兼帯する円音寺検校職に付けられた所領であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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