白鳥越
しらとりごえ
穴太から四ッ谷川に沿って西へ延び、青山と壺笠山の鞍部から白鳥山(五三五メートル)の麓を経て、山城の修学院村(現京都市左京区)に至る間道。「輿地志略」に青山越とあり、南方をほぼ並行して走る今道越(山中越)に対して古道越と称された。建武三年(一三三六)六月初め、足利尊氏が比叡山に籠る後醍醐天皇の軍勢を攻めたとき、山城側の西坂本(現京都市左京区)方面からは「音無ノ滝・不動堂・白鳥」経由で軍が進められたのに対し、天皇方の防備は「四国・北国ノ懸武者共二万余騎、白鳥ガ岳に磬ヘサセ」たという(「太平記」巻一七)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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