百済王善光(読み)くだらのこにきし・ぜんこう

朝日日本歴史人物事典 「百済王善光」の解説

百済王善光

没年持統7?(693)
生年:生年不詳
7世紀に亡命した百済の王族。禅広王,余禅広ともいう。百済最後の義慈王の子。敬福の曾祖父。舒明朝に義慈王によって日本に遣わされ入侍し,百済滅亡の前後にわたり日本にとどまって持統朝に百済王の号を賜った。百済王氏の初代。この間天智3(664)年難波(大阪市)に住まわせられ,天武4(675)年元旦の儀では薬,珍物を献上した。朱鳥1(686)年天武葬送の際には,孫の良虞が善光の代理として誄した。持統5(691)年には正広肆(のちの三位相当)とあり廷臣化したことがうかがえるが,特に賜物を受け,さらに封戸100戸を増加されて通計200戸と優遇された。7年に正広参の贈位賻物を受けており,このとき没したことがわかる。

(佐藤信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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