百貫島(読み)ひやつかんじま

日本歴史地名大系 「百貫島」の解説

百貫島
ひやつかんじま

[現在地名]弓削町百貫島

弓削四島中最小の島で、弓削本島の東海上約四キロにある。周囲は約八〇〇メートルで、樹木は少なく灌木や雑草が茂るが、周辺の海はひうち灘中でも有数の鯛漁場として知られる。

乾元二年(一三〇三)正月一八日付の弓削島庄領家地頭和与状(東寺百合文書)に「壱所辺屋路島、網以下所出物随出来、預所地頭、可致等分沙汰焉」とみえる辺屋路へやじ島が百貫島である。この和与によって、当島の網場は地頭と領家が等分に利用することとなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「百貫島」の解説

百貫島

愛媛県越智郡上島町、弓削島の馬立ノ鼻の東約4.3kmに位置する無人島。明治期に建てられた灯台が保存されている。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む