的石村
まといしむら
[現在地名]阿蘇町的石・跡ヶ瀬
東は狩尾村、西は車帰村、南は赤水村に接する。建武三年(一三三六)三月一一日の阿蘇社領郷村注文写(阿蘇家文書)には、下田常陸介が沙汰する西郷のうちに「一所一町七反 的石村」とみえる。正平一九年(一三六四)一二月日の阿蘇社領宮地四面内并郷々闕所注文(同文書)には「一まといし 一所 これハゆのうらのなかしまの給也」とあり、湯浦郷の中島に闕所として与えられている。至徳二年(一三八五)八月七日の阿蘇社領郷々注文(同文書)に「一所まといしのむら」とあり、南郷の武家方大宮司惟村の代官中島と「なかゝ」の代官の三窪弥八郎が知行している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 