的部南条郷(読み)いくはべなんじようごう

日本歴史地名大系 「的部南条郷」の解説

的部南条郷
いくはべなんじようごう

和名抄」に載る神崎郡的部郷の郷名を継承する中世の郷で、同郷の南部地域をさす。現在の相坂あいさか田野たの犬飼いぬかい中仁野なかにの広瀬ひろせ香呂こうろ中屋なかや付近に比定され、現香呂のあまだいに鎮座する一原いちわら神社は南条郷の惣氏宮とされる。貞治三年(一三六四)六月一五日の光厳上皇寺領寄進状案(天龍寺文書、以下特記しないものは同文書)に的部南条郷とみえ、死を間近にひかえた光厳上皇は当郷を京都天龍寺へ遺贈し、粥飯料に充てるよう求めている。朝廷(北朝)は同月二九日にこれを認め(後光厳天皇綸旨案・光厳上皇院宣案)、上皇が七月七日に丹波国山国やまぐに(現京都府京北町)常照じようしよう寺で死去すると、一一月六日には当郷の半分を光厳院塔頭料所に付するよう命じている(崇光上皇院宣案)。的部南条は播磨国衙別納の一つで(応永二〇年「長講堂所領目録写」東山御文庫記録)、処分には朝廷の承認が必要であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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