出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
福井県中央部、南条郡にあった旧町名(南条町(ちょう))。現在は南越前(みなみえちぜん)町の北部中央を占める地域。1954年(昭和29)南日野(みなみひの)、南杣山(みなみそまやま)、北杣山の3村が合併して南条村となり、1964年町制施行。2005年(平成17)、旧南条町は今庄(いまじょう)町、河野(こうの)村と合併、南越前町となる。旧町域は、越前(えちぜん)市の南に位置し、中央を日野川が北流し、JR北陸本線、国道305号、365号が通じる。中心の鯖波(さばなみ)は北の脇本(わきもと)とともに北陸道の宿場町。越前市境に越前富士ともよばれる日野山がそびえ、北陸自動車道がトンネルで通過する。旧今庄町との境の杣山には南北朝期に南朝方瓜生(うりゅう)氏が拠(よ)った杣山城跡(じょうあと)(国史跡)がある。
[島田正彦]
『『南条町誌』(1976・南条町教育委員会)』
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…地頭支配の強化は荘園領主支配と対立するようになり,1240年(仁治1)には領家と地頭時茂との間に和与が成立し,年貢米100石,御服綿10両(代銭納の場合は60貫文余)を地頭が納めることで地頭請所となった。77年(建治3)地頭時茂は孫3人に奥山荘を北条(きたじよう),中条(なかじよう),南条に3分して与え,それぞれが惣領を立てることになった。以後奥山荘の三浦和田一族は典型的な惣領制を展開しながら荘内の支配にあたったが,しばしば一族間に係争を生じ,訴訟をくりかえした。…
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