皮籠石村
かわごいしむら
[現在地名]小野町皮籠石
小野新町村の西、赤沼村の北、右支夏井川の支流車川の下流域の丘陵と同川両岸の平地に立地。村名は車川に籠に似た大石(籠石)があったことに由来するという(田村郷土史)。車川沿いに小野新町村と田母神村(現郡山市)を結ぶ道が通る。この道は江戸時代巡見使が利用した。江戸時代の領主の変遷は小野新町村に同じ。初め小野新町村などとともに宮古村(仁井町)に含まれていたが、慶安二年(一六四九)までに分立して成立。同年の郡村高免記写(小松家文書)に仁井町のうち皮籠石村とみえ、高三八〇石余。同五年の検地帳(福島県史)によれば高六三六石余、反別田三〇町六反余・畑三二町一反余、名請人四九人。元禄期(一六八八―一七〇四)の白河藩領高付帳(小針家文書)では本田高五四三石余・改出高九五石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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