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手余地 てあまりち

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世界大百科事典 第2版の解説

てあまりち【手余地】

日本の近世期に,手不足のために耕作放棄された耕地をいう。初期には,その最大の原因は領主の苛斂誅求(かれんちゆうきゆう)にあり,年貢諸役の負担に耐えかねた百姓が逃散(ちようさん),走り,潰れ(つぶれ)などで離村し,その跡に手余地が発生した。例えば1618年(元和4)春,会津藩(蒲生氏)領の栃窪村では年貢諸役の重圧に抗して村ぐるみで百姓が逃散し,これに対して藩は年貢諸役を免じて〈田地は作取(つくりとり),諸役之儀も申付間敷……未進をも用捨〉と譲歩したが百姓は帰村せず,同年10月には肝煎(きもいり)以下全員が村に不在という荒廃状態になった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

手余地
てあまりち

江戸時代、農村荒廃による人手不足から、耕作が放棄された土地。江戸中期以降、凶作や飢饉(ききん)、ならびに社会構造の変質から、農村で生活できなくなった人々は宿場や都市へと流出した。そのため農村では戸数・人口が減少し、農業労働力の不足から農村荒廃がおこり、手余地が増大した。手余地がわずかのうちは、村での惣作(そうさく)によってそれを耕作したが、手余地が増大すると、村の少ない労働力では耕作できなくなった。江戸幕府は、そうした状況に対処するため、入百姓(いりびゃくしょう)政策を実施したり、また、1790年(寛政2)に帰農令、1843年(天保14)に人返(ひとがえし)令を発令したが、効果はあがらなかった。[川鍋定男]

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世界大百科事典内の手余地の言及

【潰百姓】より

…潰百姓の跡地(あとち)は親類,縁者,誼(よしみ)の者が引き請けるものとされていたが,引請人のいない場合が多く,それが村の惣作地(村総作)となった。惣作地については〈村並年貢諸役相務め,作徳の内種肥代を渡し,其余分は地頭へ納め,作手間は村役にいたす定法〉(《地方凡例録》)とされ,耕作および年貢諸役を村が負わされていたが,潰百姓の跡地の多くは耕作放棄され,手余地(てあまりち)となった。とくに中期以降,潰百姓が続出して手余地が増加し,貢租収入の減少をもたらし,他方,彼らが離村して博徒,無宿(むしゆく)者,都市細民などに化し,これが治安上の問題ともなり,政治問題化した。…

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