益田義信(読み)マスダ ヨシノブ

20世紀日本人名事典 「益田義信」の解説

益田 義信
マスダ ヨシノブ

大正・昭和期の洋画家 国際造形芸術連盟名誉会長;日本版画協会顧問;日本美術家連盟相談役。



生年
明治38(1905)年3月1日

没年
平成2(1990)年1月10日

出身地
東京

学歴〔年〕
慶応義塾大学経済学部〔昭和3年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲四等旭日小綬章〔昭和56年〕

経歴
大学卒業後パリ留学。昭和7年帰国して国画会出品、後会員となり、梅原龍三郎愛弟子の一人といわれた。24年日本美術家連盟結成以来役員を務める。28年外務省による国際美術協議会の設置とともに選ばれて、29年ベネチア、30年サンパウロ・ビエンナーレコミッショナー、31年ベネチアのコミッショナー、審査員を務めた。38年国際造形芸術連盟の執行委員、41〜44年同会長を務め、同名誉会長に。訳書オリビエピカソと其の友達」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「益田義信」の解説

益田義信 ますだ-よしのぶ

1905-1990 大正-平成時代の洋画家。
明治38年3月1日生まれ。益田太郎の子。梅原竜三郎師事。パリ留学後,国画会に所属。ベネチア-ビエンナーレなど国際展のコミッショナーをたびたびつとめる。国際造形芸術連盟会長。平成2年1月10日死去。84歳。東京出身。慶大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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