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国画会 こくがかい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

国画会
こくがかい

美術団体。 1918年1月に土田麦僊村上華岳小野竹喬ら5名の日本画家が国画創作協会を結成。 25年3月に川島理一郎梅原龍三郎らの洋画家を迎え洋画部 (版画を含む) として第2部を設置。

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デジタル大辞泉の解説

こくが‐かい〔コクグワクワイ〕【国画会】

美術団体。昭和3年(1928)国画創作協会解散に際して、第二部(洋画・工芸・彫刻)の梅原竜三郎富本憲吉らによって発足。のち、版画部・写真部を設置。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

国画会【こくがかい】

絵画,版画,彫刻,工芸,写真の美術団体。1928年国画創作協会の解散に際し,梅原竜三郎,川島理一郎らの第2部(洋画)を母体として結成,旧会員の富本憲吉金子九平次も参加して絵画・彫刻・工芸3部で発足。
→関連項目川上澄生里見勝蔵須田剋太高畠達四郎平塚運一棟方志功柳原義達

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大辞林 第三版の解説

こくがかい【国画会】

美術団体の一。1918年(大正7)土田麦僊ばくせんらが創立した国画創作協会が28年(昭和3)に解散後、洋画部を中心として結成。現在、絵画・版画・工芸・写真の部門がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

国画会
こくがかい

洋画、版画、彫刻、工芸、写真の美術団体。1928年(昭和3)国画創作協会第一部(日本画)は解散したが、26年から新設された第二部(洋画、工芸、彫刻)は存続し国画会と改称したのに始まる。旧会員の梅原龍三郎(りゅうざぶろう)、川島理一郎、富本憲吉、金子九平次(くへいじ)、山脇信徳(やまわきしんとく)のほかに河野通勢(つうせい)、椿貞雄(つばきさだお)らが加わり、29年4月、最初の展覧会を、旧国画創作協会第二部併設以来の回数を追って第4回展として開催した。その後31年に平塚運一が版画部を、39年に野島康三らが写真部を設置、同年彫刻部は解散したが、旧日本美術院彫刻部の山本豊一らによって結成されたグループが加わり63年(昭和38)に再組織された。現在毎年春に公募展を開催。[佐伯英里子]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の国画会の言及

【梅原竜三郎】より

…22年春陽会の創立に加わったが,25年岸田劉生とともに同会を退会し,同年国画創作協会の洋画部新設に際し同会に迎えられた。28年新たに国画会を結成以後,同会の中心となって活躍する。初期のルノアールの影響の顕著な作風から脱し,浮世絵や桃山美術,琳派など日本の伝統美術からも学びとった明快で豪華な,梅原様式とよばれる装飾的画風をこれ以降展開していった。…

【国画創作協会】より

…26年,梅原竜三郎,川島理一郎を迎えて洋画部(第2部)を設け,27年には富本憲吉,金子九平次を迎えて工芸部と彫刻部を設けたが,翌28年,第1部の日本画部は解散した。第2部は国画会と改称,高村光太郎,河野通勢,椿貞雄らを会員に加えて再出発した。その後国画会は版画部,写真部を設け,毎年春,公募展を開催し現在に及んでいる。…

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