相倉村(読み)あいのくらむら

日本歴史地名大系 「相倉村」の解説

相倉村
あいのくらむら

[現在地名]平村相倉

上梨かみなし村の北、庄川左岸の地滑りによってできた南面台地上にある。北側背後の山肌は岩壁が露出し、南側崩口は切立って庄川に達する。南西高坪たかつぼ(一〇一三・九メートル)北東は低い位置に見座みざ村がある。天文二一年(一五五二)一〇月二七日の五箇山衆連署申定(生田家文書)の「下梨」の内に図書了歓の名がみえ、下梨の瑞願ずいがん寺蔵の申定写には相倉村九郎三郎先祖の書入れがある。歴代の九郎三郎は藩政期の肝煎役道場坊を勤めた。正保郷帳に村名がみえ、高一二一石余、畑方のみで八町余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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