徳島県西部、吉野川上流部の祖谷川および松尾川流域をいう。また松尾川流域は小祖谷(おいや)とよばれる。行政的には三好(みよし)市の南半部(旧、東祖谷山村。旧、西祖谷山村)の範囲をさす。典型的な挙家(きょか)離村。祖谷川は三好市西祖谷山村の善徳(ぜんとく)までは西流して縦谷をなし、次いで北流してV字形の横谷をつくる。祖谷渓の深い谷は10キロメートルに及び、長い間外部を隔絶し、平家一族の隠田集落(おんでんしゅうらく)とされ秘境をなしてきた。1585年(天正13)から1590年の祖谷山一揆(いっき)ののち蜂須賀(はちすか)氏の支配を受けるようになった。藩は政所(まんどころ)を置き、配下に8家の御屋敷(おやしき)を置いた。古い慣習を残しており、正月14日のカイツリの行事、名付け親や隠居の制度、ユイ(イイ)とよばれる相互扶助のしきたりなど、祖谷特有の伝承文化が多い。また、忌みことばや神代踊(じんだいおどり)(国指定重要無形民俗文化財)にも秘境性をのぞくことができる。東祖谷歴史民俗資料館、平家屋敷民俗資料館では祖谷の歴史や文化が紹介されている。国指定重要有形民俗文化財の蔓橋(かずらばし)は祖谷川に架かる吊橋(つりばし)で、全長45メートル、幅1.5メートル、水面からの高さ15メートル。シラクチカズラでつくられているが、かつてはこうした橋が、祖谷や木頭(きとう)で多くみられたという。祖谷と吉野川流域低地とは、小島峠、桟敷(さじき)峠、水ノ口(みずのくち)峠で連絡していたが、大正初期に祖谷川に沿う街道が完成した。また1974年(昭和49)西方の大歩危(おおぼけ)からの有料道路(1998年無料開放、主要地方道西祖谷山山城線)が開通した。ソバ、ヒエ、コンニャクなどを産し、ミツマタの栽培も行われる。「いや」は、おや、うやまうと関連した語源で、祖霊信仰の土地である。
[高木秀樹]
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…徳島県西部の川。吉野川の支流で水源は剣山西にあり,西祖谷山村善徳まで縦谷をなし,善徳から約20kmはV字形の峡谷(祖谷渓)をなして,出合で松尾川に合流し,さらに大利で吉野川本流となる。全長54km,流域面積約280km2。…
…日本の古橋の中でとくに構造的に変わったものとしてあげられてきた岩国(山口県)の錦帯橋,甲斐(山梨県)の猿橋,黒部(富山県)の愛本橋をいう。愛本橋の代りに木曾の桟(かけはし)あるいは祖谷(いや)(徳島県)のかずら橋を入れる説もあるが,桟はけわしい崖に沿って板をかけ渡した橋で,構造的には上述の諸橋ほどの特色はない。錦帯橋は1673年(延宝1)に創建された木造アーチを主体とする優美な橋,猿橋は少なくとも13世紀以前にはつくられていたに違いないはね木橋である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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