日本歴史地名大系 「相内村」の解説 相内村あいないむら 青森県:三戸郡南部町相内村[現在地名]南部町相内馬淵(まべち)川左岸の河岸段丘に位置する。南を馬淵川が東流し、中央を馬淵川に注ぐ小流が南東へ流れる。東は八戸藩領虎渡(とらと)村(現名川町)、西は玉懸(たまかけ)村、南は馬淵川を隔てて八戸藩領上名久井(かみなくい)村・高瀬(たかせ)村(現名川町)、北は八戸藩領剣吉(けんよし)村(現名川町)に接する。永正(一五〇四―二一)の頃の糠部九箇部馬焼印図(古今要覧稿)の「三ノ部」の項に「あひない」とみえる。戦国時代より三戸南部氏の配下に入る。正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に相内村、一六八石余とあり、同年の郷村帳によれば一六八・二三八石のうち八九・二四三石が畑であった。 相内村あいのないむら 北海道:網走支庁北見市相内村[現在地名]北見市相内町・東相内町(ひがしあいのないちよう)・美園(みその)・豊田(とよた)・住吉(すみよし)・本沢(ほんざわ)・柏木(かしわぎ)・富里(とみさと)・西相内(にしあいのない)、常呂(ところ)郡留辺蘂(るべしべ)町字泉(いずみ)大正一〇年(一九二一)から昭和三一年(一九五六)まで存続した常呂郡の自治体。大正一〇年四月野付牛(のつけうし)町から分離し、二級町村として成立。分村時の戸口は七〇八戸・三千七六八人(相内村史)。村名のもととなった「アイノナイ」は一八五六年(安政三年)の松浦武四郎「辰手控」に「ムイコツネ」「コマムト」と「ムウカ」の間の地名としてみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by