相打村
あいうちむら
[現在地名]市浦村相内
十三湖の北岸に位置する。南を除き三方が山に囲まれ、山王坊川・桂川・太田川を合流した相内川が、村の東端より南に流れて十三湖へ注ぎ、三角洲を形成する。村から東の今泉村(現中里町)に通じる道は、湖の北の山間部を通るものと、板割沢村・相打太田村を経由するものがある。相打村から北西に走る道は海岸に出て北上し磯松村に達する。
天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「鮎内川」とある。津軽知行高之帳に相打村、「津軽歴代記類」の貞享三年(一六八六)に相内、同四年の検地帳には相打村とあり、そのほかの史料にも内と打は混同して使用されている。村名は「人が多い沢」という意味のアイヌ語に由来するとする説もあるが確かでない。安東氏が相内集落の東、十三湖を南に望む台地上の福島城に拠ったのは、鎌倉時代末から南北朝時代にかけての頃と推定される。その北方の独立丘陵上に築城年代は確かでないが支城と考えられる唐川城がある。福島城拠城と同じ頃の作と伝えられる「十三往来」によれば、現在の相内の地域に禅林寺・龍興寺・阿吽寺のほか十三千坊とよばれるほどの寺社が多数あったといわれ、中世に十三湊とともにこの地域が繁栄したことを推測できる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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