日本大百科全書(ニッポニカ) 「相模屋政五郎」の意味・わかりやすい解説
相模屋政五郎
さがみやまさごろう
(1807―1886)
幕末の侠客(きょうかく)。江戸・芝の口入屋、定右衛門の二男として生まれ、京橋の同業相模屋幸右衛門の養子となる。文政(ぶんせい)年間(1818~30)には店を構え、「相政(あいまさ)」と名のった。彼の名声を高めたのは、新門辰五郎(しんもんたつごろう)の子分が酔って市村座の小屋を壊したので、大喧嘩(おおげんか)になったのを仲裁したためといわれている。1846年(弘化3)に土佐藩山内屋敷の火消御用を務めた。藩主山内豊信(とよしげ)(容堂)にはその侠気心を好まれ、寵愛(ちょうあい)された。意気に感じた彼は55年(安政2)藩邸の火災の際に、火薬庫を火から守った。72年(明治5)に容堂が死去すると殉死しようとしたが、板垣退助(たいすけ)に止められた。
[芳井敬郎]