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相模屋政五郎 さがみや まさごろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

相模屋政五郎 さがみや-まさごろう

?-? 江戸後期-明治時代の侠客(きょうかく)。
相模屋幸右衛門の養子で,分家して相政(あいまさ)を名のる。弘化(こうか)3年(1846)より高知藩江戸屋敷火消し御用をつとめ,藩主山内豊信(とよしげ)に愛された。豊信の没したとき殉死しようとし,板垣退助にとめられたという。明治20年ころ八十余歳で死去。江戸出身。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

相模屋政五郎

生年:生没年不詳
幕末明治期の江戸の侠客。通称は相政,のちに中山政次郎と称した。口入れ屋大和屋定右衛門の次男で相模屋幸右衛門の養子。弘化3(1846)年,13代土佐(高知)藩主山内豊煕に火消頭として雇われ,14代豊惇,15代豊信(容堂)に仕える。安政2(1855)年3月の築地土佐藩邸から出火した火災が火薬庫に延焼するのを部下共々身を持って防ぎ功績を上げ,容堂に可愛がられ,明治3(1870)年,中山姓を授けられた。5年容堂他界に際して殉死しようとしたのを板垣退助に諭されてやめたと伝えられる。明治20年前後に80歳余で死去した模様。

(福地惇)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

相模屋政五郎
さがみやまさごろう
(1807―1886)

幕末の侠客(きょうかく)。江戸・芝の口入屋、定右衛門の二男として生まれ、京橋の同業相模屋幸右衛門の養子となる。文政(ぶんせい)年間(1818~30)には店を構え、「相政(あいまさ)」と名のった。彼の名声を高めたのは、新門辰五郎(しんもんたつごろう)の子分が酔って市村座の小屋を壊したので、大喧嘩(おおげんか)になったのを仲裁したためといわれている。1846年(弘化3)に土佐藩山内屋敷の火消御用を務めた。藩主山内豊信(とよしげ)(容堂)にはその侠気心を好まれ、寵愛(ちょうあい)された。意気に感じた彼は55年(安政2)藩邸の火災の際に、火薬庫を火から守った。72年(明治5)に容堂が死去すると殉死しようとしたが、板垣退助(たいすけ)に止められた。[芳井敬郎]

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