相那村(読み)あいなむら

日本歴史地名大系 「相那村」の解説

相那村
あいなむら

[現在地名]馬路村馬路 相名あいな

馬路村の北西、安田川沿いに位置し、上流土川つちかわ村。「土佐州郡志」に「日浦槌之尾之間故名相野、戸凡三拾五」とあり相野あいの村とも称した。また小字押谷おすだには戸数三とある。養和元年(一一八一)平重盛の家臣大野源太左衛門尉盛高が、重盛の病気平癒のために勧請した熊野新宮の鎮座地を求めて当地に来たが、すでに清岡与惣右衛門という落人がおり、その養子となって文治二年(一一八六)改めて熊野十二社権現を勧請、自力社殿を建立したという伝えがある。

天正一五年(一五八七)の安田庄地検帳に「安田分」として馬路名相野村が記され、検地面積は七二筆三町四反三七代四歩、うち切畑は一反四〇代、切畑の作物に蕎麦・芋とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む