小高城(読み)おだかじょう

日本の城がわかる事典 「小高城」の解説

おだかじょう【小高城】

福島県南相馬市にあった室町時代から戦国時代にかけての平山城(ひらやまじろ)。伊達氏の内紛天文(てんぶん)の乱(1542~48年)以来、伊達氏と激しい戦いを繰り広げた相馬氏の居城だった城である。南北朝時代初め、北朝方だった相馬氏が南朝方の北畠顕家軍勢に対応するために築いたといわれる。1336年(建武3)に南朝方に攻められ落城したが、間もなく奪還し、その後、16代当主の相馬義胤が伊達政宗(まさむね)との抗争が激化する中、1597年(慶長2)に牛越城(同市原町区牛越)に居城を移すまでの約260年間、相馬氏の居城となった。小高川や現在は水田となっている湿地に囲まれた城だが、大勢力となった相馬氏の拠点としては規模が小さく、また、伊達氏への備えとしては郭などの縄張りが未発達で、防衛に適していなかったことが居城を移した理由と考えられている。関ヶ原の戦いの後の1602年(慶長7)、徳川家康により常陸の佐竹氏が秋田への移封を命じられた際、相馬氏の所領は近隣の蘆名氏や岩城氏と同様に没収されたが、再興運動の結果、同年10月に所領が安堵され相馬藩が成立した。その際、初代藩主の相馬利胤(義胤の子)は再び小高城を居城とした。しかし、利胤は1611年(慶長16)、中村城(相馬中村城、同県相馬市)を修築して居城を移したため、小高城は廃城となった。現在、城跡は相馬野馬追祭りの野馬懸で知られる小高神社境内になっており、城跡の東には弁天池と呼ばれるかつての堀跡などが残っている。JR常磐本線小高駅から徒歩約15分。◇紅梅山浮船城とも呼ばれる。当時も三方を川や湿地で囲まれていたことから浮船城とも呼ばれていた。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小高城の言及

【小高[町]】より

…西部は阿武隈高地に含まれる丘陵からなる。常磐線が通じる中心の小高は中世相馬氏の本拠地で,現市街の北にある小高城は1326年(嘉暦1)から約280年間同氏の居城であった。近世は浜街道の宿場町として栄えた。…

※「小高城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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