真経村(読み)さねつねむら

日本歴史地名大系 「真経村」の解説

真経村
さねつねむら

[現在地名]鏡野町真経

香々美かがみ川の両岸に展開し、東は上横野かみよこの(現津山市)、西は百谷ももだに村、南は年信としのぶ村、北は大町おおまち村に接する山村正保郷帳に高一三三石余、うち田方七七石余・畑方五五石とある。「作陽誌」では家数四四・人数二四八。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳では改出高四〇石余、開高一四石余。「作陽誌」によれば、この村に津山藩主森忠政の第二子重政の墓があり、「瑞応院殿墓、在真経村、俗諱森大膳重政、(中略)元和四年六月五日卒、(中略)葬栃社山誕生寺、以此地亦旧棲、存墳墓」とある。「森家先代実録」にも「文禄二癸巳年四月廿三日、於金山生レ給ふ、(中略)作州苫南郡真経村にて、御歳二十六ニして卒し給ふ、同所原谷槙尾畝ニ葬、墓印ニ柊一株有り、其後久米郡南里方村栃社山誕生寺ニ改葬」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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