ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「福王朱由崧」の意味・わかりやすい解説
福王朱由崧
ふくおうしゅゆうしょう
Fu-wang Zhu You-song; Fu-wang Chu Yu-sung
[没]順治3(1646)
中国,清初に明の遺臣により擁立された明の王。年号により弘光帝と呼ばれる。諡は聖安皇帝,安宗簡皇帝。神宗 (→万暦帝 ) の孫で,万暦 45 (1617) 年に徳昌王となり,父の福王朱常洵が崇禎 14 (41) 年に李自成に殺されると同 16年に福王に襲封された。同 17年に毅宗が自殺して明朝が滅亡すると淮安に逃れ,鳳陽総督馬士英らに擁立されて南京に迎えられ監国となり,やがて帝位につき明年を弘光1年と定めた。由菘は暗愚であり兵部尚書史可法らは賢人の 潞王を擁立しようとしたが,明の皇室に血筋の近い福王が擁立されたので,馬士英,史可法の間に内紛もあり,清軍の南下に対抗しえず,順治2 (45) 年史可法も揚州で戦死し,南京も陥落,福王は安徽省太平府から蕪湖に逃れたが,清軍が迫ると総兵田雄らは福王を献じて投降した。福王は南京に送還され,さらに北京に送られ,翌年没した。
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