矢川原村(読み)やがわらむら

日本歴史地名大系 「矢川原村」の解説

矢川原村
やがわらむら

[現在地名]原町市矢川原

東流する太田おおた川の南岸に位置し、上流西方に枝郷片倉かたくら村がある。東は南北に走る浜街道を境に益田ますだ村に接する。明暦二年(一六五六)片倉村を分村(相馬藩政史)。天保郷帳では「古者 矢川原村・片倉村・高欠新田三ケ村」と注記される。谷河原などとも記す。正和四年(一三一五)八月七日の尼妙悟譲状(相馬岡田文書)によると、相馬岡田氏の祖とされる胤顕の後家尼妙悟は夫から一期分として譲られていた「やかわらやま」地頭職および三ヵ所の所領を次男胤兼分を除いて嫡男胤盛に譲っている。建武四年(一三三七)頃には胤家(胤盛の孫、幼名乙鶴丸)は討死した父胤康の軍功などを根拠として、「矢河原」など八ヵ所の安堵を申請している(年月日欠「相馬乙鶴丸代祐賢申状案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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