日本歴史地名大系 「矢畑村」の解説 矢畑村やばたむら 神奈川県:茅ヶ崎市矢畑村[現在地名]茅ヶ崎市矢畑・茅ヶ崎一丁目東を千(せん)ノ川が流れ、茅ヶ崎村と境し、北は円蔵(えんぞう)村に接する。矢端とも書く。文明二年(一四七〇)二月一一日の相模国檀那注文(県史三)に「やはた 五郎四郎」とみえる。小田原衆所領役帳には山中彦十郎「卅貫文 東郡谷畑」とあり、天正二年(一五七四)二月一九日の北条氏政判物写(県史三)によれば小笠原兵部少輔は所領「矢畑郷」を息子孫増へ相伝することが認められている。 矢畑村やばたむら 茨城県:結城市矢畑村[現在地名]結城市矢畑結城寺(ゆうきじ)村の北に位置。上山川(かみやまかわ)村の分村的性格をもっていたようで、草分百姓も上山川の方から来たと伝えられている。詳細は不明であるが、慶長七年(一六〇二)の寅ノ年新田村皆済之事、同八年の新田村引目之事(ともに矢畑の鈴木誠一郎文書)にみえる「新田村」が矢畑村かもしれない。「矢畑村」が登場するのは同一七年頃からである。 矢畑村やばたむら 京都府:竹野郡丹後町矢畑村[現在地名]丹後町矢畑依遅(いち)ヶ尾(お)山の西南麓、吉永(よしなが)村の北方、矢畑川上流に位置する山村。西方にわずかに狭長な水田がある。中世末の丹後国御檀家帳に「吉長の屋はた 家五拾軒斗」とみえる「屋はた」は矢畑と推される。慶長検地郷村帳には村名がみえず、延宝三年郷村帳に「吉永村矢畑」分として高二四二・〇七二石が記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by