知訥(読み)ちとつ(その他表記)Chi-nul

改訂新版 世界大百科事典 「知訥」の意味・わかりやすい解説

知訥 (ちとつ)
Chi-nul
生没年:1158-1210

朝鮮,高麗の僧で,禅宗曹渓山修禅社開祖俗姓は鄭,号は牧牛子。黄海道洞州(現,瑞興郡)の人。諡(おくりな)は仏日普照国師。8歳で禅宗の門に入り,1182年僧科に合格したが,これも捨て,名利を嫌ってひたすら求道に努めた。その間,清源寺,普門寺,上無住庵などで,慧能(えのう)の《壇経》,李長者の《華厳論》,懐譲(えじよう)の《語録》などに接して禅の悟りを深め,しだいに人々の尊崇を受けるようになった。1200年以後松広山修禅寺に住し,同寺を中心に,新しい禅宗宗派を確立し,05年熙宗により,曹渓山修禅社(松広寺,全羅道順天)という新しい号と親書の題額,袈裟を与えられた。《定慧結社文》《真心直説》ほかの著作がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「知訥」の意味・わかりやすい解説

知訥
ちとつ
(1158―1210)

高麗(こうらい)の僧。普照禅(ふしょうぜん)の祖。自号は牧牛子(ぼくぎゅうし)、諡号(しごう)は仏日普照(ぶつじつふしょう)国師。京西洞(けいせいどう)州(瑞興(ずいこう)郡)の人。俗姓は鄭(てい)氏。8歳のとき宗暉(そうき)に従って出家し、各地を巡って修行して、25歳で僧選(僧の資格試験)に合格した。3年後、下柯山普門(かかざんふもん)寺で李通玄(りつうげん)(635―730)の『新華厳経論(しんけごんきょうろん)』を読んで教禅一致の旨を悟り、同志と定慧社(じょうえしゃ)をつくった。1200年、この結社を松広山吉祥寺(しょうこうざんきっしょうじ)に移し、上述の立場から盛んに曹渓禅(そうけいぜん)を宣揚した。著書に『修心訣(しゅしんけつ)』1巻、『真心直説(しんじんじきせつ)』1巻、『誡初心学人文(かいしょしんがくにんもん)』1巻、『華厳論節要(けごんろんせつよう)』3巻、『円頓成仏論(えんとんじょうぶつろん)』1巻、『看話決疑論(かんなけつぎろん)』1巻などがある。

[木村清孝 2017年3月21日]

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世界大百科事典(旧版)内の知訥の言及

【仏教】より

…また新羅の義湘や,高麗の均如は朝鮮独自な華厳教学を樹立した。さらに高麗の知訥(ちとつ)の教禅一致思想は,朝鮮禅の伝統を確立させた。朝鮮仏教の修行においては禅と念仏とを双修したが,これも日本仏教とは大いに異なっている。…

※「知訥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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