20世紀日本人名事典 「石井直三郎」の解説 石井 直三郎イシイ ナオサブロウ 大正・昭和期の歌人 生年明治23(1890)年7月18日 没年昭和11(1936)年4月23日 出生地岡山県小田郡矢掛町 別名筆名=青木 小四郎,号=直樹 学歴〔年〕東京帝大国文科〔大正3年〕卒 経歴大学在学中の大正元年日夏耿之介らと「聖杯」を創刊し、翻訳、短歌を発表。以後「車前草」「水甕」に参加。錦城中学講師を経て、大正5年万朝報社に入社し、8年東京帝室博物館嘱託、9年八高教授に就任。その間「西洋美術史」などを刊行。14年愛知県下の学生、卒業生を会員とした「青樹」を創刊し、また八高短歌会の指導にあたった。昭和6年歌集「青樹」を刊行。他の歌集に「青樹以後」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石井直三郎」の解説 石井直三郎 いしい-なおさぶろう 1890-1936 大正-昭和時代前期の歌人。明治23年7月18日生まれ。大正2年尾上柴舟(おのえ-さいしゅう)の「車前草」(第2次)に参加,3年「水甕(みずがめ)」の創刊にくわわる。9年八高教授。14年から「青樹」を主宰。加藤将之(まさゆき)らおおくの歌人をそだてた。昭和11年4月23日死去。47歳。岡山県出身。東京帝大卒。号は直樹。筆名は青木小四郎。著作に「徒然草(つれづれぐさ)新釈」など。【格言など】山幾重夕山いくへ鳴かぬ鳥さびしき鳥の落ちて入る山(生地矢掛町の歌碑) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例