石坂郷(読み)いわさかごう

日本歴史地名大系 「石坂郷」の解説

石坂郷
いわさかごう

現在の八雲村大字平原ひらはら日吉ひよし東岩坂ひがしいわさか・西岩坂などの地域にあった国衙領。北側で大庭おおば(現松江市)と境を接する(年月日未詳「大草郷内六所神田坪付」秋上家文書)。岩坂郷・石坂保ともみえる。

元暦二年(一一八五)一月九日の源頼朝下文案(石清水文書)に山城石清水いわしみず八幡宮領の一つとして、平浜ひらはま別宮(現松江市)などの別宮と並んで石坂保とみえる。石清水八幡宮に納めるべき官物などを納入することを義務付けられた便補保として成立したとも考えられるが、その後の石清水八幡宮関係史料にはまったく現れず、造営料所などとして一時的に石清水八幡宮に与えられたものだったのかも知れない。建長元年(一二四九)六月日の杵築大社造営所注進状(北島家文書)には、流鏑馬勤仕の第一〇番および相撲役勤仕の一つとして石坂郷がみえ、国衙領としてとらえられている。石清水八幡宮との関係はこれ以前に消滅していたのであろう。同四年岩坂郷の地頭代神魂かもす(現松江市)神官との間で堺相論となり、地頭代に出廷が命じられたが拒否したため、六月二七日、翌七月中に地頭代を京都に上洛させるよう守護代に命が下された(「六波羅下文」千家家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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