石川半山(読み)イシカワ ハンザン

20世紀日本人名事典 「石川半山」の解説

石川 半山
イシカワ ハンザン

明治大正期のジャーナリスト



生年
明治5年8月17日(1872年)

没年
大正14(1925)年11月12日

出生地
岡山県岡山市一番町

本名
石川 安次郎

別名
筆名=呑海,城北隠士

学歴〔年〕
慶応義塾卒

経歴
「庚寅新誌」記者、「信濃日報」主筆、「中央新聞」経済部長を経て、明治31年「毎日新聞」主筆となり「当世人物評」を連載。35年北清事変に従軍記者として赴き、35年「報知新聞」に転じ、そのかたわら「好学雑誌」を創刊。38年ポーツマス会議に特派員として派遣され、41年から45年にかけて中国・北京に滞在。大正に入ってからは「朝日新聞」、「万朝報」で活躍し、大正13年憲政党から衆院議員に当選した。著書に随筆集「烏飛兎走録」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「石川半山」の解説

石川 半山
イシカワ ハンザン


本名
石川 安次郎

別名
筆名=呑海 城北隠士

生年月日
明治5年8月17日

出生地
岡山県岡山市一番町

学歴
慶応義塾卒

経歴
「庚寅新誌」記者、「信濃日報」主筆、「中央新聞」経済部長を経て、明治31年「毎日新聞」主筆となり「当世人物評」を連載。35年北清事変に従軍記者として赴き、35年「報知新聞」に転じ、そのかたわら「好学雑誌」を創刊。38年ポーツマス会議に特派員として派遣され、41年から45年にかけて中国・北京に滞在。大正に入ってからは「朝日新聞」、「万朝報」で活躍し、大正13年憲政党から衆院議員に当選した。著書に随筆集「烏飛兎走録」がある。

没年月日
大正14年11月12日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「石川半山」の解説

石川半山

没年:大正14.11.12(1925)
生年:明治5.8.17(1872.9.19)
明治大正時代のジャーナリスト。本名安次郎。筆名呑海,城北隠士。旧備中藩(岡山県)藩士石川彦衛の次男。慶応義塾卒業後,『庚寅新誌』の記者となる。明治27(1894)年,『信濃日報』主筆となる。上京後,『中央新聞』『毎日新聞』『報知新聞』を経て,45年『東京朝日新聞』に入社し,憲政擁護の立場から大正デモクラシー論陣を張った。大正3(1914)年,『万朝報』へ移る。13年,憲政党から衆院議員となった。<著作>『粛親王伝』<参考文献>田熊渭津子「石川半山年譜」(明治文学全集92巻),「石川安次郎関係文書」(『国家学会雑誌』89巻3~8号)

(井川充雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川半山」の解説

石川半山 いしかわ-はんざん

1872-1925 明治-大正時代のジャーナリスト。
明治5年8月17日生まれ。「庚寅新誌」記者,「信濃(しなの)毎日新聞」主筆などをへて,明治31年島田三郎の「毎日新聞」主筆。社会問題研究会,普通選挙期成同盟会に参加。大正3年万(よろず)朝報社にうつった。13年衆議院議員(憲政会)。大正14年11月12日死去。54歳。岡山県出身。本名は安次郎。著作に「烏飛兎走録(うひとそうろく)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「石川半山」の解説

石川 半山 (いしかわ はんざん)

生年月日:1872年8月17日
明治時代;大正時代の新聞供者;政治家。衆議院議員
1925年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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