ケンペル(読み)けんぺる(英語表記)Engelbert Kämpfer

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケンペル」の意味・わかりやすい解説

ケンペル
けんぺる
Engelbert Kämpfer
(1651―1716)

ドイツの医者、博物学者。レムゴーに牧師の子として生まれ、ダンツィヒクラクフケーニヒスベルクウプサラなどの大学で医学、博物学を修めた。スウェーデンのペルシア派遣使節の書記として1683年から1685年までペルシアに滞在、その国情を観察。さらに東洋研究を志し、オランダ東インド会社の船医となり、1689年バタビア(ジャカルタ)に赴き、1690年(元禄3)日本商館長オートホールンCornelis van Outhoorn(1635―1708)付き医師として来日、1692年10月まで滞在した。この間、1691年と1692年の2回、商館長の江戸参府に随行し、日本の歴史、社会、政治、宗教、動植物などを総合的に観察し、記録した。得意な絵筆をとって挿絵も準備した。帰国後、故郷レムゴーの領主侍医となり、かたわら著述に励み、晩年はその完成と出版に没頭した。1712年に出版された『廻国奇観(かいこくきかん)』は西洋思想界に好評を博し、故郷に近いステインホフでその生涯を閉じた。著書日本誌』は外国人による日本研究白眉(はくび)とされ、そのなかの「鎖国論」などは早くから紹介され、日本の思想界に大きな影響を与えた。

[片桐一男]

『ケンペル著、斎藤信訳『江戸参府旅行日記』(平凡社・東洋文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケンペル」の意味・わかりやすい解説

ケンペル
Kämpfer, Engelbert

[生]1651.9.16. ウェストファリア,レムゴー
[没]1716.11.2. スタインホフ
ドイツの医者,博物学者。東洋研究を志し,オランダ東インド会社の船医となって 1689年バタビアに渡り,翌年,オランダ商館長となったアウトホールンに随行して長崎に赴任,元禄5 (1692) 年 10月まで2年余日本に滞在した。その間 91年と 92年の2回,商館長の江戸参府に従い,日本の歴史,社会,政治,宗教,動植物などを総合的に観察記録し,またみずから絵筆をとりスケッチも多く行なった。 93年アムステルダムに帰着,故郷のレムゴーに戻り,領主アドルフ伯の侍医となって,資料の整理,著述に従った。 1712年にいわゆる『廻国奇観』をラテン語で出版し,好評を博したが,それから4年後 66歳の生涯を閉じた。彼は生前に日本の歴史に関する大著を完成していたが出版されず,26年ロンドンで英訳され,"The History of Japan"として出版された。その後フランス,オランダ,ドイツなどでも出版された。当初『廻国奇観』に載り,ドイツ語版『日本志 (日本誌) 』に収録された『鎖国論』は,早くから日本でも,志筑忠雄の邦訳『異人恐怖伝』によって思想界に影響を及ぼし,邦訳された『江戸参府紀行』 (『異国叢書』所収) にも収められている。

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