ドイツの医者、博物学者。レムゴーに牧師の子として生まれ、ダンツィヒ、クラクフ、ケーニヒスベルク、ウプサラなどの大学で医学、博物学を修めた。スウェーデンのペルシア派遣使節の書記として1683年から1685年までペルシアに滞在、その国情を観察。さらに東洋研究を志し、オランダ東インド会社の船医となり、1689年バタビア(ジャカルタ)に赴き、1690年(元禄3)日本商館長オートホールンCornelis van Outhoorn(1635―1708)付き医師として来日、1692年10月まで滞在した。この間、1691年と1692年の2回、商館長の江戸参府に随行し、日本の歴史、社会、政治、宗教、動植物などを総合的に観察し、記録した。得意な絵筆をとって挿絵も準備した。帰国後、故郷レムゴーの領主の侍医となり、かたわら著述に励み、晩年はその完成と出版に没頭した。1712年に出版された『廻国奇観(かいこくきかん)』は西洋思想界に好評を博し、故郷に近いステインホフでその生涯を閉じた。著書『日本誌』は外国人による日本研究の白眉(はくび)とされ、そのなかの「鎖国論」などは早くから紹介され、日本の思想界に大きな影響を与えた。
[片桐一男]
『ケンペル著、斎藤信訳『江戸参府旅行日記』(平凡社・東洋文庫)』
(鳥井裕美子)
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江戸中期に来日したドイツ人博物学者兼医者。ダンチヒ,クラクフ,ケーニヒスベルク,ウプサラなどの各大学で博物学および医学を修めたのち,スウェーデンの大使館書記官に採用され,ペルシア派遣使節に従って,ロシア経由でペルシアにおもむいた。この間,各地の博物および政治,地理,歴史などの知識を得た。さらに東方諸国に関心を抱き,1686年オランダ東インド会社に船医として入社,89年(元禄2)バタビアに着き,翌年,新日本商館長コルネリウス・アウトホールンに従って商館付医師の資格で日本に来朝,92年10月まで滞留した。その間,商館長に従って2回江戸参府を行った。ヨーロッパに帰ってから,94年オランダのライデン大学で医学博士の学位を得,晩年は故郷レムゴウで余生を著述にささげ,《廻国奇観》《日本誌》を著した。
執筆者:片桐 一男
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1651.9.16~1716.11.2
ドイツ人医師・旅行家。レムゴー生れ。ヨーロッパ各地で学んだ後,スウェーデンのロシア・ペルシア両国への使節団に加わり,ついでオランダ東インド会社艦隊の軍医となり,1689年バタビアに来着。90年(元禄3)長崎に着き,92年までの商館医在任中,91・92年の2度江戸へ参府。オランダ通詞今村源右衛門を助手にえて日本の政治・社会・風俗・産業・動植物・鉱物などを研究。その成果の大著「日本誌」は死後,まず英訳本で出版された。
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… 一方,茶樹の移植栽培をもっとも切望していたのは,最大の茶輸入国でかつ消費国であったイギリスである。18世紀中ごろにおけるヨーロッパ人の茶樹と茶栽培についての知識といえば,日本で17世紀末茶を観察し情報を集めたケンペルの記述に頼っていた程度で,茶は依然なぞに包まれた植物であった。1793年イギリスは初めて中国へジョージ・マカートニーを団長とする使節団を派遣したが,その目的の一つは中国の実情についての情報,とくに茶の栽培・製造に関する詳しい情報を集めることであった。…
…それは,江戸幕府が内外の情勢に対応して集権的な権力を確立する過程の一環として打ち出されたもので,日本列島が当時の世界交通の辺境である東北アジアにあり,大陸と海で隔てられているという地理的条件と,季節風と海流を利用した帆船の技術的条件によって,長期にわたる状態の固定が外部から支えられた。 〈鎖国〉の語は,1801年(享和1)長崎の通詞で著名な蘭学者でもあった志筑忠雄がケンペルの《日本誌》の一章を翻訳し〈鎖国論〉と題したときに始まる。ケンペルは鎖国状態のもたらす効用を肯定的に記述したのであったが,英訳からの重訳であるオランダ語版は,その是非を問う表題になっていた。…
…だが江戸時代,長崎出島のオランダ商館にはすでにドイツ人が勤務しており,彼らと日本人との間に文化交流が生じていた。1635年(寛永12)来日した砲術家ブラウンHans Wolfgang Braunが平戸で臼砲を鋳造し,49年(慶安2)にはカスパルが外科医として江戸に招かれたのは,その初期の例であるが,日本の事情を広くヨーロッパに伝えた人物としてケンペルがいる。彼は1690年(元禄3)オランダ商館医師として来日,2年間の滞在の間に《日本誌》を著した。…
…ケンペル著の日本風物誌。ドイツ語の原著は英訳本(1727)の50年後に出版。…
※「ケンペル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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