石川照勤(読み)イシカワ ショウキン

20世紀日本人名事典 「石川照勤」の解説

石川 照勤
イシカワ ショウキン

明治・大正期の僧侶 成田山新勝寺(真言宗智山派)第15世住職。



生年
明治2年10月10日(1869年)

没年
大正13(1924)年1月31日

出生地
下総国成田(千葉県)

別名
幼名=中村 兵蔵

学歴〔年〕
真言宗中学林卒

経歴
明治11年成田山新勝寺に入り、原口照輪に師事。京都、東京で修学、27年新勝寺第15代住職となった。日清戦争では広島の大本営に赴き、31年渡米、欧州各地、インドを歴訪、33年帰国。成田山の5代事業といわれる成田中学、成田高女、成田図書館、成田山感化院(のちの千葉感化院)、成田幼稚園を経営した。著書に「不亡録」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「石川照勤」の解説

石川照勤

没年:大正13.1.31(1924)
生年:明治2.10.10(1869.11.13)
真言宗智山派の僧侶で,成田山新勝寺第15世。千葉県の中村家の次男に生まれ,川越本行院石川一心の養子となる。明治11(1878)年新勝寺に入山し,同23年東京哲学館,同26年新義派大学林を卒業し,翌年26歳の若さで新勝寺住職。同31年から2年間の欧米視察を経て,成田中学校,成田図書館,成田幼稚園,成田山感化院(のちの千葉感化院),成田高等女学校を設立し,成田山新勝寺の5大事業を完成した。照勤は仏教教育や社会事業,新寺建立廃寺再建に尽力し,その進歩的行動的な宗教活動は近代仏教の先駆をなした。<参考文献>『新修成田山史』

(武田道生)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川照勤」の解説

石川照勤 いしかわ-しょうきん

1869-1924 明治-大正時代の僧。
明治2年10月10日生まれ。真言宗。明治11年成田山新勝寺にはいり,27年住職となる。31年から2年間欧米を視察。帰国後,成田中学(現成田高),成田図書館,成田幼稚園,成田山女学校,成田山感化院(のちの千葉感化院)を創設した。大正13年1月31日死去。56歳。下総(しもうさ)印旛(いんば)郡(千葉県)出身旧姓は中村。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「石川照勤」の解説

石川 照勤 (いしかわ しょうきん)

生年月日:1869年10月10日
明治時代;大正時代の僧侶。成田山新勝寺住職
1924年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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