石川知福(読み)イシカワ トモヨシ

20世紀日本人名事典 「石川知福」の解説

石川 知福
イシカワ トモヨシ

大正・昭和期の労働衛生学者 国立公衆衛生院労働衛生学部長。



生年
明治24(1891)年

没年
昭和25(1950)年5月24日

出生地
愛媛県

学歴〔年〕
東京帝国大学医学部〔大正8年〕卒

学位〔年〕
医学博士

経歴
東大医学部生理学教室で永井潜、福田邦彦の指導を受け、倉敷の大原労働科学研究所に入り、昭和13年創立された国立公衆衛生院の労働衛生学部長となった。わが国労働衛生学の確立者で、放熱疲労についての研究などは炭鉱や他の産業で実地に生かされた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川知福」の解説

石川知福 いしかわ-ともよし

1891-1950 大正-昭和時代の労働衛生学者。
明治24年8月5日生まれ。東京帝大で永井潜(ひそむ)の指導をうける。卒業後,倉敷労働科学研究所にはいり,労働衛生を研究。昭和13年国立公衆衛生院の労働衛生学部長。戦後労働基準法制定に寄与した。昭和25年5月24日死去。58歳。愛媛県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「石川知福」の解説

石川 知福 (いしかわ ともよし)

生年月日:1891年8月5日
大正時代;昭和時代の労働衛生学者
1950年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の石川知福の言及

【暉峻義等】より

…19年大阪に大原社会問題研究所が創立され,入所したが,実験施設を欠いていたため,東京において《日本社会衛生年鑑》の資料収集や八王子の機業女子労働の調査に従事した。20年,紡績労働者の健康と生産能率の研究を目的とした倉敷労働科学研究所が創設されると,その所長となり,石川知福,桐原葆見らとともに日本の労働実験医学の先駆的業績をつぎつぎと世に出した。人絹・スフ工業の勃興に伴う職業病防止研究の必要を主唱し,29年産業衛生協議会を創始し理事長となる。…

※「石川知福」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android