永井潜(読み)ナガイ ヒソム

20世紀日本人名事典 「永井潜」の解説

永井 潜
ナガイ ヒソム

明治〜昭和期の生理学者 東京大学名誉教授



生年
明治9年11月14日(1876年)

没年
昭和32(1957)年5月17日

出生地
広島県賀茂郡

別名
号=静山

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治35年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔明治44年〕

経歴
明治36年から3年間ドイツ英国フランス留学。帰国後東京帝大助教授となり生理学第2講座主任、大正4年教授。昭和12年定年退官、台北帝大医学部教授、医学部長、13年中国国立北京大学医学院の責任者となった。戦後帰国。生理学に物理化学の実験技術、理論を導入した。著書に「生物学哲学との境」「人生論」「生命論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永井潜」の解説

永井潜 ながい-ひそむ

1876-1957 明治-昭和時代の生理学者。
明治9年11月14日生まれ。ドイツ,イギリス,フランスに留学,大正4年母校東京帝大の教授。生理学に物理化学の理論と実験技術を導入,また優生学関心をもち民族衛生学会を創立。昭和12年退官。台北帝大の教授などをつとめた。昭和32年5月17日死去。80歳。広島県出身。著作に「生物学と哲学との境」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「永井潜」の意味・わかりやすい解説

永井潜
ながいひそむ

[生]1876.11.14. 広島
[没]1957.5.17. 藤沢
生理学者。 1902年東京帝国大学医科大学卒業。イギリス,フランス,ドイツに留学し生理学を研究。帰国して東京帝国大学助教授,15年教授,34年医学部長となる。また北京大学名誉教授,台北大学医学部長を歴任。性教育問題,人口問題,優生学の権威。著書『生命論』『人生論』『結婚読本』。

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367日誕生日大事典 「永井潜」の解説

永井 潜 (ながい ひそむ)

生年月日:1876年11月14日
明治時代-昭和時代の生理学者
1957年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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