20世紀日本人名事典 「石川篤三郎」の解説 石川 篤三郎イシカワ トクサブロウ 明治・大正期の実業家 生年慶応1年11月25日(1866年) 没年大正13(1924)年7月1日 出生地讃岐国(香川県) 経歴大阪に出て浪速文庫を卒業して、横浜税関水道警察部に勤務し、明治20年吉沼時計店支配人に転じ、同店解散後、村井兄弟商会に入ったが間もなく病を得て退社、のち竹パイプの製造に従事した。40年西村和平と大阪で日本電線製造合資(三菱電線工業の前身)を創立して経営に当たる。大正6年株式会社に改組し、9年更に資本金500万円の社業に拡大した。当時の電線製造業では日本一の会社に発展させ、大阪の経済界に知られる存在となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川篤三郎」の解説 石川篤三郎 いしかわ-とくさぶろう 1866*-1924 明治-大正時代の実業家。慶応元年11月25日生まれ。横浜税関,村井兄弟商会などにつとめる。明治40年大阪で日本電線製造合資(三菱電線工業の前身)の設立に参画して経営にあたる。大正6年株式会社に改組,社業を拡大した。大正13年7月1日死去。60歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by