石川貞清 いしかわ-さだきよ
?-1626 織豊時代の武将。
石川貞信の兄。石川一光(かずみつ)の一族という。豊臣秀吉につかえ,天正18年尾張(おわり)(愛知県)犬山城主となる。1万2000石。慶長4年ごろには12万石を領した。関ケ原の戦いで石田三成(みつなり)方に属し,犬山城が陥落して関ケ原で奮戦したが敗走。池田輝政(てるまさ)に命ごいをし,死をまぬかれた。寛永3年閏(うるう)4月8日死去(2年とも)。美濃(みの)(岐阜県)出身。初名は光吉(三吉)。通称は兵蔵。号は宗林。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の石川貞清の言及
【尾張国】より
…93年の事業はいずれも秀吉の指図により,検地高57万1737石といわれる。95年秀次死後,福島正則が清須城主24万石に,石川貞清が犬山城主1万2000石に封ぜられた。1600年(慶長5)関ヶ原の戦後,家康は正則を安芸国広島に,直盛を伊勢神戸(かんべ)に転封。…
※「石川貞清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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