朝日日本歴史人物事典 「石川貞清」の解説
石川貞清
生年:生年不詳
安土桃山時代の大名。通称は兵蔵,備前守。初名は光吉,三吉とも。宗林と号す。豊臣秀吉の使番となる。天正18(1590)年小田原の役後,1万2000石を拝領し,尾張国犬山城主となる。同時に信濃国木曾の代官を兼ねた。慶長4(1599)年12万石に加増される。同5年関ケ原の戦には西軍に応じる。戦後改易されたが,犬山籠城中東軍に加担した木曾郷士の人質を釈放したことによって,黄金1000枚で死を免れた。同18年僅かな扶持米を受けた。剃髪して宗林と号し,京都で金融業を営んだ。<参考文献>山鹿素行『武家事紀』,桑田忠親『太閤家臣団』
(平野明夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報